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    <title>com-putareかんがえる</title>
    <description></description>
    <link>http://kangaeru.indiesj.com/</link>
    <language>ja</language>
    <copyright>Copyright (C) NINJATOOLS ALL RIGHTS RESERVED.</copyright>

    <item>
      <title>言葉にならないものに根ざす言葉</title>
      <description>&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　今朝、会社に出かけた家人が散らかしたままにしてあった本の帯を　片付けていたら、そのうちの一つが目に留まりました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　　　　　　　&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//kangaeru.indiesj.com/File/IMG_7953.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//kangaeru.indiesj.com/Img/1665551085/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　「好きだ」と言わないこと&amp;hellip;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　という部分が、私のアンテナに引っかかりました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　「そうそう。『好きだ』とか『愛（してます）』って　欧米人がよく口にするけど、（私には）しっくりこない、というか　疲れる、というか。なんか白々しくて　興ざめしちゃうんだよね」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　文章表現において、悲しい気持ちを表現するのに「悲しい」という言葉を使わない（方がいい）、というようなことがよく言われます。それは、往往にしてテクニック的な使われ方をしたりしますが、&amp;ldquo;言葉であらわす&amp;rdquo;ということに真摯に向き合うなら、非常に理にかなっていると思うのです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　神の名をみだりに呼んではならない&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　ということにも通じるのではないでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　「言葉にする」ということは、量子に例えるなら　波を粒子化することです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　知覚できない不知領域との動的平衡and/or相互作用によって知覚領域に現われる　波のような&amp;ldquo;エネルギーの蠢き&amp;rdquo;。その蠢きが、ゆらぎや混沌や波としてしか受けとめられない領域　あるいは　ゆらぎや混沌や波の相のままとして受けとめたい状態を超え、周囲から屹立と浮かびあがる粒子的な存在として現われるものを象る&amp;ldquo;（もの）カタ&amp;rdquo;の一つに、言葉があります。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　　　　　　　&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//kangaeru.indiesj.com/File/IMG_7956.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//kangaeru.indiesj.com/Img/1665559072/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt; &lt;/span&gt;
&lt;div&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　　　　　　&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//kangaeru.indiesj.com/File/IMG_7955.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//kangaeru.indiesj.com/Img/1665559082/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　一つの粒、一つの音としてあらわれる／あらわされる言葉。その根本・背後には、粒子化し得ない　不知領域にまで連なる場が、広がっています。だから、本当に深く何かに触れたとき　それは決して「言葉にならない」し、その深さを保ったまま言葉（や他の表現）になってゆくには　それ相応の時間がかかります。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　そして、コトダマとは、不知領域に至るひろがりを実感しつつ（声に出してand/or文字として）使われた言葉が　不知領域における動的平衡を介して可知領域にあらたな 動きを生み出し　粒子化された世界にまでその作用が及ぶ、その一連のはたらきを意味している。というのが、現時点での私の理解です。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　よく見聞きする「引き寄せの法則」や「（定型としての）真言や呪文」のようなものは、本来のコトダマ（や意識）の表層的な部分のはたらきであり、ある意味では　そういう人々の意識がつくりあげたバーチャルな&amp;ldquo;コトダマのシステム&amp;rdquo;に拠るもの、ではないでしょうか。&amp;ldquo;システム&amp;rdquo;は、それを使う人たちのエネルギーによってチャージされ　力を維持している、ように思えます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>http://kangaeru.indiesj.com/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/20221012</link> 
    </item>
    <item>
      <title>石たちの交響曲</title>
      <description>&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　昨日、&amp;ldquo;ずっと気になっていたけれど　果たして自分が持ってよいものか迷っていた石&amp;rdquo;を　直接に手にして　我が家に迎えることに決めた帰りの電車で、膝の上に乗せた紙袋の中にあるその石をどこに置こうかと考えていた時、これは一種の化学実験　化学反応を起こす行ないではないか、という思いが湧いてきました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　それぞれの石として現象したエネルギーの構造体。それら個々のエネルギー体を　どのように配置するか。その配置&amp;hellip;つまりは　それらによって生まれるより大規模な構造体を　どのようなものにするのか。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　その構造体が有するエネルギーは、個々の石の物理的な構造だけでなく　それがどのような場所でどのように生まれたのか、いま私が手にするまでどのような（エネルギー的な）プロセス［＊どのように採掘され、どのような人の手を経て、どのように扱われてきたのか&amp;hellip;］を経てきたのか、という　個々の石につながる時空的広がりも含まれます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　人生二度目の石ブームの今　いくつかの石を家に迎えているところですが、それは　そのすべてをひっくるめたエネルギー建造物をつくっているのだ、ということに、今更ながら気づいたのでした。とするなら、庭は　土や微生物や植物、そしてそこへやってくる動物たちが織りなす一つの宇宙なのだと、ということに、同じく今更ながら思い至ったのでした。気がつけば、我が家の石も庭の草木も　国際色豊かな面々です。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　この春あたりから起動し始めた&amp;ldquo;人生二度目の石ブーム&amp;rdquo;においては、石の意味や効能というような事前情報は極力目にせず　石に対する自分の感覚（だけ）に拠って石と接することを心がけています。知識や情報が先にある行ないは　宇宙の自然なエネルギーの流れに逆行している、と感じるからです。そして、「まず　自分の内から現われる&amp;hellip;自らに由る&amp;ldquo;自由な&amp;rdquo;エネルギーの流れに沿って　自らの行ないを立てていく」ことを体得する一環でもあります。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　今回私は　石や庭をエネルギー構造体として捉える視点が腑に落ちたわけですが、それはあらゆるものことに通じることです［＊&lt;a href=&quot;https://sukimono.edoblog.net/カゲロウ日記/パチャママのリース&quot; title=&quot;&quot; target=&quot;_self&quot;&gt;一例として&lt;/a&gt;］。まずは自分がいま興味が惹かれている石や庭をフィールドに、その感覚を育んでいこうと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最近、宮古島出身で彼の地のノロの血筋を引く友人から何年も前に聞いた言葉を　よく思い出しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　土で変える世。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　それは、石で変える世。とも言えます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　普遍のものに　宇宙が導かれていくのだとすれば&amp;hellip;。普遍な場、普遍なエネルギー構造を実現することで　世が変わっていっても、不思議ではありません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　岩石惑星である、私たちの地球。&lt;a href=&quot;https://aratanayo.exblog.jp/31787774/&quot; title=&quot;&quot; target=&quot;_self&quot;&gt;その変化&lt;/a&gt;が一番素直に反映されるのが　石であり岩であり土なのではないでしょうか。&lt;br /&gt;
　いま、地球／Gaiaは　&lt;a href=&quot;https://twitter.com/Al_Shalan_Go/status/1545702699278430213&quot; title=&quot;&quot; target=&quot;_self&quot;&gt;日々刻々と新たまっている&lt;/a&gt;ようです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;</description> 
      <link>http://kangaeru.indiesj.com/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E7%9F%B3%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2</link> 
    </item>
    <item>
      <title>源流へ</title>
      <description>&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;１の冪乗を辿って&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;みちへむかう&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;はじまりのひずみ&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;初期異常&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;の&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;そのむこう&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>http://kangaeru.indiesj.com/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E6%BA%90%E6%B5%81%E3%81%B8</link> 
    </item>
    <item>
      <title>うぶすな　調和する宇宙</title>
      <description>&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　このところ、水の構造&amp;hellip;ひいては　それをつくりだしているエネルギーの構造が、気になっています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　周波数や言葉や文字によって変化する水紋や水の構造&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　第四の水の相&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　生きている水と死んだ水&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　・・・&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　先日こちらの動画⇩を観て、水が有する&amp;ldquo;多次元的／多層的な構造&amp;rdquo;というものが気になり始めました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;

&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/QuYr9gMZqEg&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　一対一対応ではない、環境と相互作用した　環境を写したとも言える水の構造、というものについて。その関心は、『エレファントム　象はなぜ遠い記憶を語るのか』（ライアル・ワトソン著）の次の下りを思い起こさせます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #ff0000; font-size: 14px;&quot;&gt; 　バーニー・クラウスは著書『野生の聖域へ　into a Wild sanctuary』の中で、音の棲み分けという考えを持ち出している。それぞれの種は、音響的な&amp;ldquo;なわばり&amp;rdquo;を持っている。つまり意志をうまく伝達するために、他の種に使われていない周波数を自分のものにしている。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #ff0000; font-size: 14px;&quot;&gt; 　クラウスは一つの地域に住む動物たちの音全体を録音し、「常に変化する反共的な音の組成」に気がついた。録音した音を分析すると、そこには地面を掘り進むミミズの音までが含まれていた。そうしてこうした音を用いれば、生息場所を特定したり、音の衰退によって生態の変化を指摘したりできることがわかった。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #ff0000; font-size: 14px;&quot;&gt; 　生態が安定したところでは、生物音が切れ目なく全体を満たしている。あらゆる周波数のスペースがきちんと埋められているので、音が一つの完全な状態を保っているのだ。それぞれの地域で、生物たちは互いに穴埋めをするように音を出している。そして象がいなくなった今、象の占めていた場所には音の穴が空いている。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #ff0000; font-size: 14px;&quot;&gt; 　これは重要な発想だと思う。自然を全体として捉え、その鼓動を聴くことの大切さを教えてくれる。一部の文化において、ある種の音が自然に有効な働きかけをすると考えられているのもうなずけるだろう。彼らは音によって世界の裂け目を癒し、森の隠れた生命を呼び起こすことができると考えている。音は不毛の地に眠るしなびた種を蘇らせ、恐ろしい獣を手なずけ、荒れ狂う奔流をなだめ、巨大な岩を動かす。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #ff0000; font-size: 14px;&quot;&gt; ＜P.330-P.331＞&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　切れ目のない音の&amp;hellip;振動の&amp;hellip;ゆらぎの&amp;hellip;全体には、動物だけではなく植物や鉱物や　そして多くの人にはまだ認識できない存在や　現在の人間では知覚できない存在が、関わっていることでしょう。抽象化するなら、多様なエネルギー構造によって　この宇宙全体が編まれている、ということなのだと思います。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　ある特定のエネルギー構造が　私たちの認知領域において　特定の&amp;ldquo;存在&amp;rdquo;や&amp;ldquo;もの&amp;rdquo;として具現化している---。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　「水」は、ヒトや地上の他の生命の場が具現化するプロセスにおいて重要な媒介物／媒体なのかもしれません。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　&lt;a href=&quot;https://twitter.com/purplep76858690/status/1480849456845455360&quot; title=&quot;&quot;&gt;こちらでツイートされている動画&lt;/a&gt;では、体内における情報伝達は&amp;ldquo;構造化された水&amp;rdquo;に担われているのでは、という認識が示されています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　また、先日参加した講演会では、ある水紋と亀の甲羅模様の類似性が指摘されていました。⇩&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;

&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//kangaeru.indiesj.com/File/IMG_7147.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//kangaeru.indiesj.com/Img/1651563259/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　宇宙全体が、様々なゆらぎ&amp;hellip;波&amp;hellip;非対称なエネルギーの場&amp;hellip;から生まれる様々な構造によって　複雑に関わりながら編まれているとするなら、私たちは　個人、家族、グループ、地域、国、惑星、銀河&amp;hellip;といった様々なレベルにおいて　全体を構成すると同時に全体に依存していることになります。ある意味では、様々なエネルギー構造によって生まれる　多次元的／多層的な一つの鋳型、と言えるのかもしれません。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　大橋力さんがその著書『音と文明』の中で指摘する　可聴域外の&lt;a href=&quot;http://www.bunmeiken.jp/highlight.html#HSE&quot; title=&quot;&quot;&gt;ハイパーソニックの重要性&lt;/a&gt;は、そのことを物語る一つの証のように思えます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　先に引用した文中には、「人が音によって世界の裂け目を癒し」「隠れた生命を呼び起こすことができる」という認識が示されていました。もちろん、そういうアプローチは　ある程度まで有効だろうと思います。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　ただ、大橋さんがプロデュースしたハイパーソニックオルゴールを聴いた時に　計測されたスペクトルは似ていてもそのオルゴールの音と私が体験したバリ島の音には明らかな乖離があり　オルゴールに不自然な違和感とそれに対する不快感を覚えた私は、人が音によってできることには　当たり前ですが限界があると感じていて、そんな私には　人が世界を癒したり隠れた生命を呼び起こしたりできるという物言いは（そのための助力となり得るとは思うものの）傲慢に響くのでした。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;

&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//kangaeru.indiesj.com/File/IMG_7173.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//kangaeru.indiesj.com/Img/1651565189/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//kangaeru.indiesj.com/File/IMG_7174.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;//kangaeru.indiesj.com/Img/1651565204/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;＜『音と文明』より＞&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; ［上］ハイパーソニックの音はスペクトルは広いけれど波がトゲトゲしている。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; ［下］人口的な環境における音は　極端にスペクトルが狭い。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　冒頭の動画に出ている西村さんは、&lt;a href=&quot;https://twitter.com/Bathplus2018/status/1469144779053473794&quot; title=&quot;&quot;&gt;水の格差をなくしたいというUBIならぬUBW［ユニバーサル・ベーシック・ウォーター］という概念&lt;/a&gt;を示されていおり、私はその考えに共鳴します。いつでも　どこでも　（宇宙全体の中でバランスが取れ　その場にふさわしい）生きた水が得られるような場を　植物や鉱物と協調しながらつくっていきたい&amp;hellip;。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　それが夢物語ではないかもしれないと思わせてくれる記事については、余力があれば後ほど和訳文を投稿したいと思います。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　それこそが　産土［うぶすな］というものなのではないでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>http://kangaeru.indiesj.com/%E6%80%9D%E8%80%83%E3%83%A1%E3%83%A2/20220503</link> 
    </item>
    <item>
      <title>物質と光　ひとつらなりの宇宙</title>
      <description>&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;&lt;a href=&quot;https://karapaia.com/archives/52311968.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;「光と物質、物質から光へと連続的に変化する」粒子を作り出すことに成功した、&lt;/a&gt;との報道を目にしました。&lt;a href=&quot;https://www.nature.com/articles/s41563-022-01230-4&quot; title=&quot;&quot;&gt;『ネイチャー・マテリアルズ』誌&lt;/a&gt;で4月14日付で発表されたとのことですが、専門誌に掲載された研究が後に取り消されることもあるものの、本当なら刺激的な話です。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　電磁波［＝光］と物質それぞれのエネルギー構造が　どのようなもので、それらがどのように関わり変態するのかが、解明されるかもしれません。ずっと思ってきた「物質と非物質」「物質と意識」は元は同じもの、ということが、ぐっと腑に落ちるのではないかと、一人ワクワクしています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　この記事の中で特に興味深いのは、「この粒子にとって光と物質はコインの裏表のようなもので、物質面のおかげで互いに相互作用することができる。」という部分。この粒子に限った現象かもしれませんが、電磁波／光の場を　物質の場が繋いでいる、と捉えることができます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　今読んでいる『量子で読み解く　生命・宇宙・時間』（吉田伸夫・著）では、中途半端な&amp;hellip;というか　理解と知識が乏しい者の浅い理解で捉えていた「量子」観が、まだ途中ではあるものの　覆されつつあり、もちろん吉田さんの認識が唯一の正解ではないにしろ　本書を読み終えたときに改めてこの記事を読むと、また新たな気づきや疑問や興味が生まれそうな気がしています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　冒頭でリンクした記事が削除される可能性を鑑み、以下、勝手ながらその内容を転載しておきます。写真も本記事からお借りしました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;

&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;＊＊＊&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: large;&quot;&gt;&lt;strong&gt;古代ナミビアの宝石が&lt;br /&gt;
未来の量子コンピューターの鍵を握る&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//kangaeru.indiesj.com/File/6693fbfa.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//kangaeru.indiesj.com/Img/1650442200/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&amp;copy;︎University of Andrews&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&amp;nbsp;&lt;/div&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　セント・アンドリューズ大学（スコットランド）をはじめとするグループによると、古代ナミビアの宝石によって紡ぎ出された特殊な光は、光をベースとした量子コンピューター開発の鍵を握っているそうだ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　同グループは、ナミビアで採取された「酸化銅（Ⅰ）（Cu2O）で組成された宝石を使って、これまでで最大の光と物質のハイブリッド粒子「リュードベリ・ポラリトン（Rydberg polaritons）」を作り出すことに成功。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　その成果を『 Nature Materials』（2022年4月14日付）で発表した。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;text-decoration: underline;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;&lt;strong&gt;光と物質のハイブリッド粒子「リュードベリ・ポラリトン」&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　光と物質のハイブリッド粒子であるリュードベリ・ポラリトン（Rydberg polaritons）は、光から物質、物質から光へと連続的に変化する。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　この粒子にとって光と物質はコインの裏表のようなもので、物質面のおかげで互いに相互作用することができる。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　この相互作用は、「量子シュミレーター」という特殊な量子コンピューターを開発する鍵となる。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　量子コンピューターの情報は「量子ビット」として保存される。従来のコンピューターで用いられる「バイナリー・ビット」は、０か１だけで表される。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　ところが量子ビットは０と１いずれか一方だけでなく、０と１を同時に表すことができる。量子コンピューターがはるかに多くの情報を保存し、複数の処理を同時にこなせるのはこのためだ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　それによってパワフルに作動する量子シュミレーターならば、物理学・化学・生物学など各分野の難問を解くことができるだろう。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;（略）&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;

&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//kangaeru.indiesj.com/File/e8cdcc7c.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//kangaeru.indiesj.com/Img/1650442358/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
photo by iStock&lt;/div&gt;
&lt;strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;text-decoration: underline;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 合わせ鏡で閉じ込めた光からハイブリッド粒子を生成&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　リュードベリ・ポラリトンを生成するには、まず反射率の高い２枚の鏡の間に光を閉じ込めなければならない。それから酸化銅（Ⅰ）（Cu2O）結晶を薄く磨いて作った厚さ30マイクロメートルの板を鏡に挟む。こうして生成されたリュードベリ・ポラリトンは、従来のものより１００倍も大きい。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　なお研究グループは、実験に使われた酸化銅（Ⅰ）を含む赤銅鉱をネットオークションサイト「eBay」で購入したとのこと。色の範囲が極めて狭いリュードベリ・ポラリトンの生成は至難の技だが、素材を手に入れるだけなら簡単だ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;

&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;a target=&quot;_blank&quot; href=&quot;//kangaeru.indiesj.com/File/7bbeb7db.jpg&quot; title=&quot;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//kangaeru.indiesj.com/Img/1650442517/&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: xx-small;&quot;&gt;赤銅鉱は、金属に似た光沢、またはダイヤモンドのような光沢のある赤みがかった銅酸化鉱物で、&lt;br /&gt;
組成は酸化銅（Ⅰ）／&amp;nbsp;image credit : iStock&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　研究グループは現在、この生成法を洗練させ、やはり量子シュミレーターに必須の「量子回路」を作成する方法を探っているところだ。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; References : &lt;a href=&quot;https://scitechdaily.com/ancient-namibian-gemstone-holds-key-to-future-quantum-computers/&quot; title=&quot;&quot;&gt;Ancient Namibian stone could hold key to future quantum computers&lt;/a&gt;&amp;nbsp;/ written by hiroching / edited by / &lt;a href=&quot;https://karapaia.com/archives/51249039.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;parumo&lt;/a&gt;&amp;nbsp;&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>http://kangaeru.indiesj.com/%E6%80%9D%E8%80%83%E3%83%A1%E3%83%A2/%E3%81%B2%E3%81%A8%E3%81%A4%E3%82%89%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%AE%87%E5%AE%99</link> 
    </item>
    <item>
      <title>生命と宇宙とケイ素</title>
      <description>&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　これから書こうとしている内容の始まりは、&lt;a href=&quot;https://twitter.com/UF_dynasty/status/1452157652033630213&quot; title=&quot;&quot;&gt;このツイート&lt;/a&gt;だったと言えるかもしれません。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　神戸に出現した巨大な仏塔のような姿の電波塔が、イシス・ペンデュラムに似ている、という&amp;hellip;。そのペンデュラムの形が、私には、人の脊椎〜正確には、頭蓋骨ー蝶形骨ー脊椎［環椎から尾骨］〜に見えたのです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;

&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;img src=&quot;//kangaeru.indiesj.com/File/602ce73a.jpeg&quot; alt=&quot;&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
＜&lt;a href=&quot;https://www.porto-healing.com/product/1423&quot; title=&quot;&quot;&gt;こちらのサイト&lt;/a&gt;からお借りしました＞&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　この連想の始まりにあった電波塔はフリーエネルギー装置と思われ、また、イシス・ペンデュラムも説明によれば安定した&lt;a href=&quot;https://www.porto-healing.com/product-list/149&quot; title=&quot;&quot;&gt;エネルギー（場）を生み出すもの&lt;/a&gt;のようで、&amp;hellip;という流れから、エネルギーの編み方ともいえる「構造」に似たものを感じた私は、人の体軸の骨格は　もしかしたらフリーエネルギー装置なのではないか、という思いを抱いたのでした。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　現時点では何の証明された根拠もない　人によっては妄想としか受け止められないであろう仮説ですが、この考えがいたく気に入った私は、その妄想めいた仮説を展開していくことにしました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　すると、そのあと目にした&lt;a href=&quot;https://twitter.com/motorcycho81/status/1435254221977243652&quot; title=&quot;&quot;&gt;こちら&lt;/a&gt;や&lt;a href=&quot;https://twitter.com/motorcycho81/status/1452603966995329026&quot; title=&quot;&quot;&gt;こちら&lt;/a&gt;のツイートの動画が、人の&lt;a href=&quot;https://www.visiblebody.com/ja/learn/skeleton/axial-skeleton&quot; title=&quot;&quot;&gt;軸骨格&lt;/a&gt;で生じているエネルギーの動きに見えてきます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　また、人の骨格がそうであるなら　植物&amp;hellip;特に樹木の幹は同じような働きがあってもおかしくないなぁと考えていたら、数ヶ月前に見た『この地球に山や森は存在しない』という動画を思い出したのでした。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;

&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/8BoisBGWV9k&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　この動画を改めて観終えたときには、かつてケイ素ベースだった生命が　何らかの理由から今では炭素ベースとなっているけれども［＊ケイ素も炭素も手が４つなので、置換しやすいのではないでしょうか］、現在の体においてもケイ素は重要なエネルギー装置のはたらきを担っているのではないだろうか&amp;hellip;という考えが浮かんできたのでした。「生命の樹」という概念の根底には、人体と樹木に共通するもの&amp;hellip;構造やしくみ&amp;hellip;があるように思えます。太古のガイアにおいて、ケイ素ベースの巨大な樹木はフリーエネルギー装置として機能し、ガイア中の必要なところへエネルギーを渡していたのかもしれません。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　実際、&lt;a href=&quot;http://www.jcc-group.net/keiso/keiso.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;ケイ素&lt;/a&gt;は人体において、&lt;a href=&quot;https://roukaokurasu.com/2020/02/09/siricon-71/&quot; title=&quot;&quot;&gt;結合組織の形成&lt;/a&gt;や肌や骨や腱、血管、歯、爪、胸腺、松果体など体の主要な組織の形成など、非常に重要は働きをしています。また、&lt;a href=&quot;http://www.tmuortho.com/sekitsuiblog/honetaisyatobuturisigeki/&quot; title=&quot;&quot;&gt;骨に圧力&lt;/a&gt;をかけると電気が起こり　骨の形成を促す、という仕組みにも、ケイ素が重要な働きをしているように感じます。結合組織と聞くと　私は反射的に、細胞を修復するシャペロンタンパク質を連想してしまいますが（笑）、&amp;ldquo;骨への圧力&amp;rdquo;もシャペロンタンパク質を誘発する&amp;ldquo;結合組織の変形&amp;rdquo;も　ケイ素がメインプレイヤーに思えてしまうのです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　妄想ついでに言うなら、ケイ素は、宇宙の源&amp;hellip;宇宙の素［そ］のエネルギーを媒介し、それ故に新たなものを生み出す&amp;ldquo;創造への媒介&amp;rdquo;なのではないだろうか、とも感じています。その真偽は未確認ながら、天然の水晶を使ったクウォーツ時計は宇宙空間でも狂わないけれど　人工水晶を使ったものだと狂う、という話を聞いたことがあります。水晶、クリスタル、クウォーツは、二酸化珪素です。時間とは、宇宙における動きを捉え記述する概念、ツール。宇宙における動きの元は　宇宙の源&amp;hellip;素のエネルギー。ケイ素は、宇宙の情報の運び手と考えられている電磁波と似たようなはたらき、振る舞いをしているような気がします。少なくとも宇宙に普遍のエネルギーと非常に高い親和性を持っているように思えます。&lt;br /&gt;
　これは少し古いものになりますが、「&lt;a href=&quot;https://www.jst.go.jp/pr/announce/20120605/index.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;微生物が互いに電子をやり取りする未知の『電気共生』を発見&lt;/a&gt;」や「&lt;a href=&quot;https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/a_00146.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;生きた微生物が電気エネルギーを作り出す仕組みを解明&lt;/a&gt;」という記事があります。その内容を消化できていないものの、生きた微生物が細胞の外にある電極などに電子を渡す過程「細胞外電子移動」は、&amp;ldquo;細胞&amp;rdquo;を&amp;ldquo;一つの生命体&amp;rdquo;と捉えると　景色が広がっていきます。人体でタンパク質と結合した状態にあるケイ素　と　宇宙に充満している水素。何かそこらあたりに、ヒントがあるように思えるのです。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　テスラタワーも悪くはありませんが［いや、ほんとは　あの姿形はあまり好みじゃないのですけどね。笑］、私は　東京タワーやスカイツリーほどの高さのある（ケイ素ベースの？）巨樹がフリーエネルギー装置として　地球のあちらこちらに立っている世界の方が嬉しいし　楽しいなぁと思います。&lt;br /&gt;
　いや、そのような集中型のシステムではなく、エネルギーが必要な物自体がフリーエネルギー装置を内蔵しているような個々に自立した在り方のほうが、いいかな。いや。個々の装置はエネルギー的に自立しつつ、土地やガイア全体ひいては銀河へのエネルギーの&amp;ldquo;わたし&amp;rdquo;として　巨樹から庭の木々というバリエーション豊かな緑が溢れている世界を、私は大いに望みます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;</description> 
      <link>http://kangaeru.indiesj.com/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/20211027</link> 
    </item>
    <item>
      <title>声に出しながらかんがえる、ということ。</title>
      <description>&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;＊&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;Think Out Loudとは&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;考えていたこと、あるいは考えていることを声に出すのではなく、&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;声を出しながら考える行為である。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;文字で書くことを優先させる習慣から、&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;声を出しながら同時に思考する行為に変えるだけで、&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;脳の質と速度は飛躍する。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;ミュートで思考するよりも&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;プリミティブな言語空間に到達する。&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;＊&lt;/span&gt;&lt;/div&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　&lt;a href=&quot;https://twitter.com/synergetics_jp/status/1433534102263648261&quot; title=&quot;&quot;&gt;この　梶川泰司さんのツイート&lt;/a&gt;は、私が模索している「全体でかんがえる」（＊この「全体」とは文字通りの意味）というあり方に　大きな指針を与えてくれました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　とはいえ、いまこの文章を書くにあたっても　なかなか実行できず、これまでの習慣&amp;hellip;つまりはこれまで構築してきた回路や場というものに　いかに縛られているかを実感しています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　声とは、まさに　わたしの場と世界とのまじわりで生まれたものを体が感受し　それを世界へ発する流路です。エネルギーの流れであり　かつ　エネルギーの構造体でもあり。現象と（可能無限的な）意味が同居しています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　今朝、布団の中で　声を出しながら思考することを試みているとき、皮膚という「膜」が　強烈に意識にのぼってきました。これまで　発生的に「脳は第三の皮膚である」と捉えていたのですが、それがよりリアルに実感されたのです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　そして、受精卵のような　原初の生命体ような「一つの細胞」となった自分を、また　膜で囲われて生まれたばかりの初々しい「生命体の場」である自分を実感し、膜が&amp;ldquo;思考&amp;rdquo;の場であり　最前線であることを　体感したのでした。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　ミュートで思考すると　膜は起動しません。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　ミュートで思考すると　エネルギーは脳の中へ凝っていき、ロダンの「考える人」のような　考えることが出来ない体になっていきます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　考えていたことや考えていることを　声に出すのも、ミュート思考の延長です。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　声に出しながらかんがえると　全体の膜［＊たぶん皮膚だけでなくfaciaや細胞骨格などの結合組織も］が起動し連動します。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　いや　全体の膜が発動することで、声に出しながらかんがえることができるようです。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　膜のネットワークの中に　&amp;ldquo;現時点で最も新しい形態である膜&amp;rdquo;としての脳が位置づけられているのが、感じられます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　まだ　始めたばかりなので、この認識が正しくないかもしれません。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　あらたな場づくりに取り掛かるよろこびだけは、確かにあります。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　果たして　このあり方は　本当にわたしが求めているものなのかどうか。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;それも含め、どうなっていくのか。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　これからが楽しみです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>http://kangaeru.indiesj.com/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E5%A3%B0%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%8C%E3%81%88%E3%82%8B%E3%80%81%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82</link> 
    </item>
    <item>
      <title>「順」としての知覚・認知</title>
      <description>&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　先ほどアップした記事に、「武」や「舞」は　&amp;ldquo;世界のバランス・動的平衡を探り求めるうごき&amp;rdquo;と書きました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　そして、後半のほうの（）内で、&amp;ldquo;私たちが認識できる現象に　私たちが認識できない領域も関わっているとするなら、私たちが認識しうるバランスや動的平衡といった現象など　実際に起こっている現象のほんの一部であるかもしれません。&amp;rdquo;とも書きました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　また、ツイッターでは、&lt;a href=&quot;https://twitter.com/Al_Shalan_Go/status/1413495807781736448&quot; title=&quot;&quot;&gt;「反転した認知」から想起した&amp;ldquo;対象化&amp;rdquo;というコトバ&lt;/a&gt;について、&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　対象化することで、私たちは多くのものことを認識することができています。が、対象化することで、実在している&amp;ldquo;つながり&amp;rdquo;が断ち切られ　認識から消えてしまいます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　対象化とは鏡像であり、向かい合うありよう。対立するありよう。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　同じ方向を向いたありようとして、認識することはできないのでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;同じ流れをいくもの同士として認識し合うことはできないものでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;そのような認知・認知にもとづく科学、ができないものでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;とつぶやきました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　ブログの記事とつぶやきの内容は　ひとつならりの思考にあります。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　ある現象に遇したとき、その捉え方や認識あるいは対応が　不知の領域も含めた全体（の現象）の流れに適っているかどうか。その判断基準の一つとして考えられるのは、&lt;br /&gt;
　自らの捉え方や認識あるいは対応が　エネルギーの流れを停滞させていないかどうか。&lt;br /&gt;
　自らの場のエネルギーand/or自らの場にやってきたエネルギーが　滑らかにうごき流れているかどうか。&lt;br /&gt;
&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　武術でいうところの「順」であるかどうか。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　集め固める「力」ではなく　流れていく「うごき」であるかどうか。&lt;br /&gt;
&amp;hellip;ではないかと。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　苫米地さんが考案したベーシックインカムのシステム［＊下に動画あり］は、お金というエネルギーを停滞させることなく常に人々の間・社会の間を流れるように設計されています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　では、滑らかに流れているかどうかを、（不特定多数の）他者と共有するのにふさわしい「型」は　どのようなものなのでしょうか？&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　苫米地さんのベーシックインカム案が参考になりそうですが、今日のところはここまで。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
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&lt;br /&gt;

&lt;div style=&quot;text-align: center;&quot;&gt;&lt;iframe width=&quot;400&quot; height=&quot;225&quot; src=&quot;https://www.youtube.com/embed/MlWbzGe6Igw&quot; frameborder=&quot;0&quot; allowfullscreen=&quot;&quot;&gt;&lt;/iframe&gt;&lt;br /&gt;
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&lt;/div&gt;</description> 
      <link>http://kangaeru.indiesj.com/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/%E3%80%8C%E9%A0%86%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E7%9F%A5%E8%A6%9A%E3%83%BB%E8%AA%8D%E7%9F%A5</link> 
    </item>
    <item>
      <title>武と舞　みちにある体</title>
      <description>&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　先日放映されたテレビ番組『明鏡止水〜武のKAMIWAZA〜』の「三の巻」と「四の巻」を観て、「武」というコトバの源を知りたくなり　漢字の語源ではいつもお世話になっている&lt;a href=&quot;http://gaus.livedoor.biz/archives/24378287.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;サイトで調べた&lt;/a&gt;ところ、興味深いことが書かれていました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #008000; font-size: 14px;&quot;&gt; 　現代では藤堂明保が武の語源を解き明かした。藤堂は武のグループ幕（武・賦）、馬のグループ（馬・罵）、莫のグループ（莫・摸・募・驀など）、無のグループ（無・舞・撫）、巫のグループ（巫・誣）、明のグループ（明・盟・萌）、皿のグループ（皿・孟・猛）などを一つの単語家族にくくり、これらの語群はMAK・MAG・MANGという音形と、「探り求める」という基本義があるとした（『漢字語源辞典』）。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #008000; font-size: 14px;&quot;&gt; 　武の根源にあるイメージは「無いものを求める」というイメージである。無いものを求めるためにがむしゃらに突き進む。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　武と舞はみなもとが同じ　と感じていましたが、武と舞のコトバの祖音／語源が「MAK・MAG・MANG」であり　舞の訓読み［MAI・MAU］の音にその面影を大きく留めているのは　おもしろい限りです。＜参照：ツイッターでの&lt;a href=&quot;https://twitter.com/Al_Shalan_Go/status/1411516820041830403&quot; title=&quot;&quot;&gt;つぶやき&lt;/a&gt;＞&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　今日　上記のことをブログに書き留めるにあたって、以前どこかで「王朝を最初に開いた皇帝に武の名／諡が贈られ　それを発展させた皇帝に文が贈られる」というような趣旨の記述を目にしたような記憶があり　そのことも書き加えておこうと調べたのですが、見つけることができませんでした。が、その検索の過程で&lt;a href=&quot;https://ja.wikipedia.org/wiki/大紀元時報&quot; title=&quot;&quot;&gt;大紀元&lt;/a&gt;の&lt;a href=&quot;https://www.epochtimes.jp/p/2021/06/74973.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;「一舞（武）両用の智慧」&lt;/a&gt;という記事に出逢いました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　神韻芸術団のホームページより転載されたその文中に　次のようなくだりがあります。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #008000; font-size: 14px;&quot;&gt; この「一舞（武）両用」の中には、実は神の文化の博大な智慧を秘めています。道教の祖である老子は、&lt;a href=&quot;https://aokikenji.com/tao-02&quot; title=&quot;&quot;&gt;「天下皆知美之爲美。斯惡已。皆知善之爲善。斯不善已。」&lt;/a&gt;と言いました。中国人の考え方には陰陽の概念があり。宇宙のすべてのものは相対的であり、陰と陽は共存し、物事には正と負、難と易、長と短などがあると考えています。これは道教思想における宇宙の運行の重要な法則です。もちろん、武術（舞踏）にも同じ原則が当てはまります。実際の戦闘に使われた武術は、暴力を止めさせたり、世の中を安定させたり、善良な人々を守ることができますが、武術という手段自体は、目的を達成するためには流血まで惜しなく［原文ママ］残酷で暴力的なものです。そこで、陰と陽を補うという宇宙的な法則に則って、舞踊が生まれました。舞踊は武術の出身ですが、柔らかな資質を持ち、善良さと美しさで観客を感動させることができます。兵事や武器を動かすことはないが、時に戦争よりも強大な力を発揮することができます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　この文章の書き手は、武から舞が生まれたと捉えています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　しかし、私には、上掲した「武」の原義から　藤堂明保さんが言う単語家族としての身体的うごきのコトバから「武」や「舞」などが生まれたと捉える方がしっくりきます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　探り求める。うごき。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　何を？&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　世界のバランスを。動的平衡を。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　2011年に縁あって&lt;a href=&quot;https://ameblo.jp/miyakojima-medical-hotel/entry-10966420738.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;第10回クイチャーフェスティバル&lt;/a&gt;のお手伝いをした時、担当作業の合間を縫って目にしたあるクイチャーが印象残っています。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;男性二人（か数人）が棒を持って地面を突く動作をしながら舞う姿です。&lt;/span&gt;&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;この貴重な機会を提供してくれた宮古島出身の友人とは、武と舞は同源・同根という認識を共有しており、彼女もそのクイチャーが目に留まったようでした。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　大地という不知の領域につながる場を　棒で突き叩き、地上の世界に欠けているものを呼び起こしている。そんな行ないとして　私には観えたのです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　この友人も私も、武も舞ももともとは神事であったと捉えています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　神。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　&lt;a href=&quot;http://gaus.livedoor.biz/archives/13894121.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;このコトバの語源&lt;/a&gt;も非常に興味深いのです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #008000; font-size: 14px;&quot;&gt; 　神にどんなコアイメージがあるのか。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;color: #008000; font-size: 14px;&quot;&gt; 　古人は「神は申（伸びる）なり」「神は信（伸びる）なり」という語源意識を持っていた。稲妻は雨を予想させる。雨は植物の生長を予想させる。こんな連想から、植物を伸ばし生長させる不思議な力をもつ存在として神が捉えられた。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　現代において用いられる「神」というコトバには　数千年にわたった蓄積された人間の思いが積み重なっているため、個人的に　あまり使いたくないコトバでした。しかし、この語源　このコアイメージに基づいてならば　抵抗なく使えそうです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　話がやや逸れてしまいましたが、武や舞という行ないがはたらきかけていた先は　この意味における神というもの。たぶん最初は、枝や石などの自然物をもちいて　あるいは　身一つで、「MAK・MAG・MANG」するという　武と舞の前段階のうごきがあったのだと思います。その過程で、神を感受する体の　神や世界／宇宙への応答が、体の使い方を多様化させ、それが&lt;a href=&quot;http://gaus.livedoor.biz/archives/13264273.html&quot; title=&quot;&quot;&gt;術&lt;/a&gt;となり　型となり、世界／宇宙への応答の延長線上に　対人の（平面的な）振る舞いとして　現在使われる意味での武力というものが派生してきたのではないでしょうか。そして、他者に対せず　天や世界や宇宙に対する（垂直的な）振る舞いとして　舞という括りがうまれたのではないでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　話を　神韻芸術団の文章に戻しますと、ここに書かれてある陰陽のような「ものごとの二元的な捉え方」について　ちょうど考えていたところでした。この記事では陰陽は宇宙普遍の理とされていますが、私は異なる立ち位置にいます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　この記事では、引用している老子の言葉を　その本質とは違う捉え方をしているように思えます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　どうして　ヒトは　二元的な捉え方をしてしまうのでしょうか？&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　二項対立であれ　補完・相補的な関係であれ、私にはずっと違和感がつきまとっていました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　平衡している状態から　何かが動けば、その動きに応じた動きがうまれます。&amp;ldquo;きっかけとなった動き&amp;rdquo;と&amp;ldquo;それによって引き起こされた動き&amp;rdquo;という捉え方をすれば　二つの存在として認識することはできます。しかしそれは、補完的なものでも　ましてや対立するものでもなく、一つの流れ・現象を部分的に区切っただけのこと。（しかも、私たちが認識できる現象に　私たちが認識できない領域も関わっているとするなら《私はそう考えています》、私たちが認識しうるバランスや動的平衡といった現象など　実際に起こっている現象のほんの一部であるかもしれません。）また、往往にしてその区切りは、平面的になり　豊かな流れを無味乾燥な数学世界の線に置き換えるようなことになってしまいます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　その要因の一つは、「意識」と私たちば呼ぶ現象が　電気信号に拠っていることが、おおきく関わっているように思われます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　ある閾値を超えたところであらわれるもの。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　それは、神経系統に限らず、ヒトの知覚や感受といったシステムが採用している在り方です。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　つまりは、０と１。&lt;br /&gt;
　区切りをはさんだ、二つの領域。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　しかしその間には　感受できない&amp;ldquo;未知／不知の領域でのつながり&amp;rdquo;が存在しています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　ヒトのシステムにおいて　「０と１に支配される意識」を未知／不知の領域にはしわたすのは「体」です。不知の領域を感受できないけれども存在していると予め了解しているであろう&amp;ldquo;体の領域&amp;rdquo;。そこから意識が気づき学ぶことは思いのほかたくさんあるはずです。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;「体に対してのアプローチの仕方がそれぞれ違う。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　で、当然出てきているあらわれが違う。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　そういうところでね、体っていうもんて　ほんとに不思議やな、&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　というふうに思います。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　で、構成は一緒ですからね、みんな」&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　冒頭の番組の「三の巻」の最後に　武道研究家の日野晃さんがそうおっしゃったことが、とても印象に残っています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　体を使うように　意識を使っている、私たち。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　体の使い方に沿って　意識を使っている、私たち。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt; 　以上のように捉えるなら、私がいま武術というものに観ている可能性は　武のおおもとのコトバを観ている、ということになりそうです。&lt;br /&gt;
　体の可能性が智の可能性、ひいてはヒトの可能性。&lt;br /&gt;
　そんなふうに思えてなりません。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>http://kangaeru.indiesj.com/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/20210706</link> 
    </item>
    <item>
      <title>意識の生態系</title>
      <description>&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　&lt;a href=&quot;https://twitter.com/UF_dynasty/status/1388103120345997312&quot; title=&quot;&quot;&gt;このツイート&lt;/a&gt;で語られている&amp;ldquo;貨幣としての生命エネルギー&amp;rdquo;は、4月10日にこのブログでアップした&lt;a href=&quot;https://kangaeru.indiesj.com/思考メモ/かかわる&quot; title=&quot;&quot;&gt;記事&lt;/a&gt;と重なります。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　前回の記事で紹介した動画で「ウイルス集合体／ウイルス叢は独自の生態系」という表現に出逢ったとき、これまで意識領域とか精神世界などと呼んでいたものが「意識の生態系」という言葉に収斂されました。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　この宇宙／世界に存在しているものは　原初の「（エネルギー）場の非対称な状態」が　様々に絡まり編み上げられた構造だと、私は認識しているのですが、その立場からすると　意識や精神というものもまたエネルギー構造の１つ、ということになります。そして、宇宙じゅうに星やら銀河団やら銀河など似たような構造が普遍に存在しているように、私たちが意識や精神として認識しているエネルギー構造もまた宇宙に普遍に存在していると考えることができます。ただ、その構造を&amp;ldquo;意識や精神と捉える私たちの認識&amp;rdquo;が普遍であるかどうかは分かりませんし、同じ構造に対して似たような解釈［＊例えば、ある物語が「同じ内容」の「物語」として受け取られるかどうか］がなされるかどうかも不明です。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　以上のような観点から、冒頭にリンクしたツイートで語られているスピリチュアルや精神世界の領域でよく見られる物語は、意識の生態系のなかで生まれた（というか　つくられた）腫瘍みたいなものだ、と私は捉えています。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　必要があってうまれつくられたものだと理解していますが、いまこのとき事ここに至っては、&lt;a href=&quot;https://aratanayo.exblog.jp/30427374/&quot; title=&quot;&quot;&gt;日野晃さんの表現&lt;/a&gt;を借りるなら、エネルギーの流れを大きく阻害するフィルターになっていると思われます。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　ヒトが、（日野晃さんが言うように）全存在で世界／宇宙／他者へ向き合い関わるなら、宇宙のエネルギーは（ヒトという場の構造によって自然に増幅されて）全方位に流れていくでしょう。エネルギーは、与えたり　もらったり　ましてや奪ったりするものではなく、自然に受け取り　自然に流れていくものだと思います。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　しかし残念ながら、「意識の生態系」から私たちの人間関係を眺めると、ほとんどが奪い奪われる関係になっているのではないでしょうか。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;span style=&quot;font-size: 14px;&quot;&gt;　私たちヒトは、宇宙の編み目、宇宙の生態系、のなかで「意識の生態系」を位置づけ直し、とりわけ命の生態系、体、との関わりを結び直す時期に来ているのだと思います。&lt;/span&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
</description> 
      <link>http://kangaeru.indiesj.com/%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%82%84%E3%81%8D/%E6%84%8F%E8%AD%98%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%85%8B%E7%B3%BB</link> 
    </item>

  </channel>
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