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Think Out Loudとは
考えていたこと、あるいは考えていることを声に出すのではなく、
声を出しながら考える行為である。
文字で書くことを優先させる習慣から、
声を出しながら同時に思考する行為に変えるだけで、
脳の質と速度は飛躍する。
ミュートで思考するよりも
プリミティブな言語空間に到達する。
*
この 梶川泰司さんのツイートは、私が模索している「全体でかんがえる」(*この「全体」とは文字通りの意味)というあり方に 大きな指針を与えてくれました。
とはいえ、いまこの文章を書くにあたっても なかなか実行できず、これまでの習慣…つまりはこれまで構築してきた回路や場というものに いかに縛られているかを実感しています。
声とは、まさに わたしの場と世界とのまじわりで生まれたものを体が感受し それを世界へ発する流路です。エネルギーの流れであり かつ エネルギーの構造体でもあり。現象と(可能無限的な)意味が同居しています。
今朝、布団の中で 声を出しながら思考することを試みているとき、皮膚という「膜」が 強烈に意識にのぼってきました。これまで 発生的に「脳は第三の皮膚である」と捉えていたのですが、それがよりリアルに実感されたのです。
そして、受精卵のような 原初の生命体ような「一つの細胞」となった自分を、また 膜で囲われて生まれたばかりの初々しい「生命体の場」である自分を実感し、膜が“思考”の場であり 最前線であることを 体感したのでした。
ミュートで思考すると 膜は起動しません。
ミュートで思考すると エネルギーは脳の中へ凝っていき、ロダンの「考える人」のような 考えることが出来ない体になっていきます。
考えていたことや考えていることを 声に出すのも、ミュート思考の延長です。
声に出しながらかんがえると 全体の膜[*たぶん皮膚だけでなくfaciaや細胞骨格などの結合組織も]が起動し連動します。
いや 全体の膜が発動することで、声に出しながらかんがえることができるようです。
膜のネットワークの中に “現時点で最も新しい形態である膜”としての脳が位置づけられているのが、感じられます。
まだ 始めたばかりなので、この認識が正しくないかもしれません。
あらたな場づくりに取り掛かるよろこびだけは、確かにあります。
果たして このあり方は 本当にわたしが求めているものなのかどうか。それも含め、どうなっていくのか。
これからが楽しみです。
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