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 いま 「からだ」というものに大いなる可能性を観ている私には、世界への扉である「からだ」(及び「身体に根ざした意識」)が “みなそこ(水底、皆(の)底)”と地上の わたし となるように思えてなりません。それは 私たちが “原罪を取り除くキリスト”を経て“原罪を免れているマリア”へとかえる扉 とも言えます。
 その「からだ」のデザインが教えてくれるのは、終わったもの 役割を終えたものは 下へ、という流れです。



   異なった(=個となった)ものたちが つながっているのは
   空間で言えば 「上」ではなく「下」
   時間で言えば 未来ではなく 出発点が含まれる過去

   みなそこ・・・皆の底、皆のソ(祖・素・礎)コ(拠・処・所)

   霊は 「アース」の流れにかえす 下へかえす
   神は 「ひとつ」の流れにかえす 下へかえす

   エネルギーの処理は 下へ、足元へ

   先のものは 後から来るものを支える礎となる

   後のものは
   自分たちを支えてくれているものたちを実感/実観しつつ
   生きていく



「下」という方向を 私たちに教えてくれるのは 重力です。
視覚障碍者に垂直の感覚をつかんでもらうために 重力を使い 何度もジャンプしてもらった、と ある舞踏家がおっしゃっていました。雪崩に巻き込まれて 方向感覚を失った時は、唾液を垂らして 「下」を認識します。


   普遍・普通のものは、(空から降り注ぐ)光 ではなく
             (存在を支えている)重力


   ブレーン宇宙論では
   4つの力(電磁気力・弱い力・強い力・重力)のうち
   唯一 
ブレーン多宇宙間を行き来できるとされているのが重力

   現在 宇宙誕生の瞬間の観測の最有力候補とされているのは
   重力波


   宇宙の成分の23%を占めると観られているダークマター
   現在のような宇宙がつくられたのは
   初期宇宙にダークマターの密度のゆらぎがあったため
   と考えられており、

   宇宙の構造を支えているのは ダークマターによる重力、
   とも言えます。

   とするならば、
   「重力というのは
    各天体の部分部分が球形になりたがり一体化しようとする
    自然的な欲求だ」
   というコペルニクスの見解は それほど的外れではありません。


   「動」という文字が 重と力でつくられているのは
   とても興味深いです



私たちは 時空のそこ で つながっている…
それゆえに 古の人たちは 宇宙の象徴に「生命の木【*】」というモチーフを用いたのではないでしょうか


   禅では 日々の行ないと坐ることを大切にします

   「坐」は 土の上に 人が二人
   坐るとは 一人でいることでは ないようです

   土の上に在り 土とつながることで
   他者とつながり 世界とつながっていく…

   土の上の空間を 他者と分かち合う…

   そんな“あらわれ”に思えます


   その姿は “土という木”から芽吹く葉のようであり
   木そのもののようでもあります

   曹源寺住職の原田正道さんは、
   「坐る」ということは
   私たち自身がこの世界と一体の“いのち”を持っていきていることを
   発見していくことだとおっしゃっていました。
   そういう“いのち”に対する信頼を深めていくことが祈りであり
   それゆえに「坐禅は祈り」だとおっしゃるのでした。

   私にとっての「祈り」も
   原田さんの捉え方と近いところにあります


そこから与えられ続けている いのちの輝きは
いきることを通して
ふたたび そこへかえっていくのかもしれません

うたかた のように…


   そこ は 絶え間なく生成消滅が起こっている 真空の場
   のようなものでしょうか


戯曲「ニーベルングの指環」でも、世界を支配する力を持つラインの黄金は 最終的に ラインの水底へ還されます。


   GOLD<PIE root「ghel-」=to shine


 ラインの語源が「流れ」であるという説を採るなら、この戯曲の設定は更に興味深いものになります。また、ラインの乙女たちがアルベルヒに聞かせた「愛を断念する者がだけが黄金を手にし 無限の権力を得て 世界を支配する指環をつくることができる」という話は、封印され抑圧された女性(性)が 抑圧する側の世界(=ストーリー/枠組み)の中で 抑圧する側へ復讐しているようでもあり、開闢当時に変節してしまった神話の記録のようもあります。




【*】体=人+本
   「本」という文字は “木の根元”の意
   そこから “ねもと、もと、もとい” の意が生まれ
   “ものごとのはじめ” という意味を持つに至ったようです。
   以上から、「体」とは
   人という木の根元、人のはじまり 人のもと、
   と理解することもできます




[つづく]
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