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 泥みたいな材料でできた心を「無意識」と呼ぶことにすると、この「無意識」を歪めたり、抑圧したりするのではないやり方で、人の生きる社会もつくられていたほうがいいのではないか。日本列島に生きてきた人間たちは、「無意識」を泥のようにしてこね上げるやり方で、自分たちの社会をつくってきた。なんだか得体のしれないところをもっている、私たちの社会は、まぎれもないアースダイバー型の特徴をもっている。
 どんなコンピューターだって、結局はシリコンがなければつくれないが、このシリコン自体がもともと「泥」からできたものである。どんなスマートな思考も、自分だけでは存在できない。思考が空中に軽やかに飛び立っていけるのも、水中から引き出されてきた泥のような「無意識」の働きが、支えてくれていればこそである。つまり一神教の創造神話は、正直なアースダイバー神話などの前に出されれば、嘘をついていることがはっきり見えるのだ。

(『アースダイバー』P.11〜P.12)


日本列島に生きてきた人間たちは 一神教の世界に生きてきた人間たちよりは いくぶんかはアースダイバー的であるかもしれませんが、これまで観てきたように 私たちの神話も 嘘をついていることがはっきりと見えてしまいます。

だからこそ
いまこそ
神話以前にアースダイブする必要があるのではないでしょうか

ヒトが言葉や神話を持つ前の
そして ヒトが言葉や神話を持つ原動力となったであろう
森の豊かな環境とつながっているアースへ

それは 霊長類が進化した場所
霊長類が霊長類たるものになったゆえんを思い出させる その記憶を留めている場所


 奈良や近江や京都にあったこれまでの皇居は、いずれも中国の王城を模して、平地の開かれた場所に、威風堂々とつくられていた。皇帝のすまいであり政治のおこなわれる場所である王城は、都市の理想をあらわしていた。自由と秩序ということが都市の理想であり、王城はその都市性のエッセンスをあらわしていた。
 だからそれは森の中ではなく、文明のおこなわれる平地につくられなければならなかったのである。中国の皇帝は、天帝から認められて王権をふるうことのできる存在だった。だから、平地に開かれた壮麗な建物をもつ王城こそ、そういう皇帝にふさわしい場所だったわけである。
 ところがわが天皇の権威は、いと高き天の観念に支えられているのではなく、神話に支えられている。神話はこの現実の空間や時間に属さない、特別な時空間のことを語る。オーストラリア・アボリジニーは、そういう時空間のことを「ドリームタイム(夢の時間)」という、すてきな名前で呼んでいるが、天皇の権威を支えてきたのは、まさにそのドリームタイムにほかならなかった。
 神話の語られるドリームタイムは、現実の世界には属していない。文明にも属していない。むしろそれは文明の外、野生の自然のうちに見出されるのでなければならない。そうなると、天皇の権威の源泉を、文明的な都市の中に見出すことなど、不可能なことになってしまう。
 そのために、権力の根拠について根本の考え方のちがう中国の王城を模して、平地に皇居をつくったことで、わが天皇制は矛盾をかかえるこむことになった。天皇の権威の根拠を支える神話の時空は、文明の外、自然の奧にひそんでいる。ドリームランドは都市の中でも天上界でもなく、森の奧にこそ見出されなければならない。こうして、歴代天皇たちはしょっちゅう都を脱出しては、熊野や吉野の森への「隠遁(リトリート)」をおこなってきたのだった。
 すると、明治になって皇居が東京に移り、それが都市の延長上ではなく、都市の中心部にありながら、都市で展開されている騒がしい開発からぽつんと取り残された、緑濃い森の奧につくられたということには、なにかいままで十分に考え抜かれたことのない、近代天皇制の本質にかかわる、深い意味が隠されているのではないか、と思えてくる。


(『アースダイバー』P.232〜P.234)


天皇の権威の本質は、
神話にささえられてきた のではなく、
ものかたられない領域にささえられてきた、のだと思います


   それは 人々の集合意識の更に背後にある無意識の領域


日本神話も一神教と同じ変節を経ているのは 既に述べた通りです。
原初の本質と そこから変節した体制。
だからこそ、「王城としての皇居」という矛盾を その成り立ちから抱え込むことになったのではないでしょうか。現在の国家を正当化する記紀に記されたアマテラスが そのうちに矛盾を抱えているように…。

そんな天皇の住まいを東京の森に移したことで 天皇の権威を支えている私たちの意識は 少し アースに近づきました。しかし 近づいた分 現実との乖離が広がり、社会的には混迷を深めていくこととなりました。そしていま、私がこんなことを書くことができるまで 人の意識が変わっているいまこそ、ヒトの意識が育まれた森の存在が より一層 重要になっているのではないでしょうか。


   つながるのではなく
   つながっていることを自然に気づき体感できる「ひとつ」へ
   はしわたす場



「都市の中でも天上界でもなく、森の奧にこそ」アースという「ひとつ」への扉がある ように思えます。ボディ・メソッドで 身体と脳のつながりを目覚めさせるように、私たちは 森の奧で 身体によって もともとあったつながりに目覚めていくのではないでしょうか。


   黄金という輝きは みなそこにあって 輝き続けていて
   だれもが それにふれることができます

   だれかが 取り出して独り占めするものではなく
   (*本来 独り占めできるものではないのですが)
   いつも 足元から支えてくれています


そういうことに気づき 目覚めを促す場
その可能性へと誘う場
として
都市の中にこそ 森はあってほしい と思うのです

そうした眼差しで現在を捉えるとき
明治神宮の森は その意義がひときわ引き立ってきます


国家権力ではなく 国民からの発意によってつくられた明治神宮の森。
いま 新国立競技場の建設について再考が求められていますが、
神宮の 内苑と一対である外苑の在りようを考えることは

一つのスタジアムの計画を超えて
私たちの精神性や 天皇制が守り続けてきた「大切な何か」とかかわる
やや大仰に言うなら 国土創成 くにうみ をすること
のように思えます。


みなそこに潜ることなくクニをつくった神々にかわって、
今度は みなそこに潜れる人々が、
「ひとつ」とつながる あらたなクニをつくっていくとき
ではないでしょうか



それこそが、まさに com-putare
かんがえる こと



みな そこで かんがえる




[おわり]


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