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数学において 直線と平面の濃度が等しいことが証明されている、

ということを初めて聞いた時は 耳を疑いました。

なにしろ 直線上の点と平面上の点の濃度が同じ、というのですから…。

   集合論では、

   二つの集合の間に一対一対応がつくれる場合

   「濃度が等しい」と表現します。

驚きはそこに留まらず、それを展開していくと 一対一対応は どんどん次元を超えてゆき、何次元であっても濃度は等しくなるというのです。それを証明した数学者・カントールですら「私は見た。しかし信じられない」と言ったとか。


   その証明については

   『無限論の教室』の「第四週」(P.40~P.57)や
   ウェブ上の情報をご参照下さい。

この証明は「あまりにも直感に反する」と書いてある方もいるのですが、私はこの証明を知った時 自分の直観と合致していたので 驚くと同時に非常に嬉しく思いました。マクロコスモスとミクロコスモスは照応している という、私自身の実感/実観であり 一部では自明のこととして伝えられてきたことが、数学的に証明されたと考えられるからです。それまでぼんやりとしていた風景が 途端にクリアになったような気がしました。

数学の専門家ではないので 素人の勝手読みになる危険を承知しつつ書くなら、

そのことは、ミクロコスモスとしての人に 現時点では最高11次元が想定されている宇宙をうつすことができることを意味します。

「人の場」が「宇宙の場」となりうるのです。

直線と平面が決して同じものではないように、人と宇宙が同じであると言うわけではありません。こんな小さな私であっても そのちっぽけな「私の場」で宇宙のなんたるかを知り体験することができる、ということです。

更に想像を広げていけば、私の場における「直線」は 宇宙と一対一対応をつくれる、ということにもなっていきます。その “私の場における「直線」”として現在想定し得るのは、身体を縦に貫く 芯/軸としての直線です。

わたしの「しん」と宇宙を接続することができる…

のかもしれません

そのためには

わたしの場をクリアにしておく必要がありそうです。

   ある方が 人間は底のない筒の状態で生まれたのではないだろうか、

   と話していましたが、私も 同感です。

   ひとの場は、

   詰まりのない筒抜けの状態 パイプのような状態が

   本来の姿であるように観じます。

   それは 「ひと」という直線…

   しかし 様々な理由から

   私たちはパイプを詰まらせていきます。

   それを取り除きながら

   私たちは 何かを学び 知り そして手放しながら

   少しずつ宇宙に出逢ってゆくのでしょう。

わたしの場が軽くクリアになっていくに従って

徐々に広がっていく宇宙とのパイプ。

それによって自分の内側にもたらされる あらたな世界のけしき。

広がり変わり続ける「けしき」を

自らのコトバで表現し伝え合うことで

「世界」はよりそのカタチをあらわし

「世界」はより豊かになっていくような気がします。

まるで 「ひと」という線の糸によって

織り成す布のように…



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