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 このところ、水の構造…ひいては それをつくりだしているエネルギーの構造が、気になっています。

 周波数や言葉や文字によって変化する水紋や水の構造
 第四の水の相
 生きている水と死んだ水
 ・・・

 先日こちらの動画⇩を観て、水が有する“多次元的/多層的な構造”というものが気になり始めました。



 一対一対応ではない、環境と相互作用した 環境を写したとも言える水の構造、というものについて。その関心は、『エレファントム 象はなぜ遠い記憶を語るのか』(ライアル・ワトソン著)の次の下りを思い起こさせます。


 バーニー・クラウスは著書『野生の聖域へ into a Wild sanctuary』の中で、音の棲み分けという考えを持ち出している。それぞれの種は、音響的な“なわばり”を持っている。つまり意志をうまく伝達するために、他の種に使われていない周波数を自分のものにしている。
 クラウスは一つの地域に住む動物たちの音全体を録音し、「常に変化する反共的な音の組成」に気がついた。録音した音を分析すると、そこには地面を掘り進むミミズの音までが含まれていた。そうしてこうした音を用いれば、生息場所を特定したり、音の衰退によって生態の変化を指摘したりできることがわかった。
 生態が安定したところでは、生物音が切れ目なく全体を満たしている。あらゆる周波数のスペースがきちんと埋められているので、音が一つの完全な状態を保っているのだ。それぞれの地域で、生物たちは互いに穴埋めをするように音を出している。そして象がいなくなった今、象の占めていた場所には音の穴が空いている。
 これは重要な発想だと思う。自然を全体として捉え、その鼓動を聴くことの大切さを教えてくれる。一部の文化において、ある種の音が自然に有効な働きかけをすると考えられているのもうなずけるだろう。彼らは音によって世界の裂け目を癒し、森の隠れた生命を呼び起こすことができると考えている。音は不毛の地に眠るしなびた種を蘇らせ、恐ろしい獣を手なずけ、荒れ狂う奔流をなだめ、巨大な岩を動かす。

<P.330-P.331>



 切れ目のない音の…振動の…ゆらぎの…全体には、動物だけではなく植物や鉱物や そして多くの人にはまだ認識できない存在や 現在の人間では知覚できない存在が、関わっていることでしょう。抽象化するなら、多様なエネルギー構造によって この宇宙全体が編まれている、ということなのだと思います。
 ある特定のエネルギー構造が 私たちの認知領域において 特定の“存在”や“もの”として具現化している---。
 「水」は、ヒトや地上の他の生命の場が具現化するプロセスにおいて重要な媒介物/媒体なのかもしれません。

 こちらでツイートされている動画では、体内における情報伝達は“構造化された水”に担われているのでは、という認識が示されています。
 また、先日参加した講演会では、ある水紋と亀の甲羅模様の類似性が指摘されていました。⇩



 宇宙全体が、様々なゆらぎ…波…非対称なエネルギーの場…から生まれる様々な構造によって 複雑に関わりながら編まれているとするなら、私たちは 個人、家族、グループ、地域、国、惑星、銀河…といった様々なレベルにおいて 全体を構成すると同時に全体に依存していることになります。ある意味では、様々なエネルギー構造によって生まれる 多次元的/多層的な一つの鋳型、と言えるのかもしれません。
 大橋力さんがその著書『音と文明』の中で指摘する 可聴域外のハイパーソニックの重要性は、そのことを物語る一つの証のように思えます。

 先に引用した文中には、「人が音によって世界の裂け目を癒し」「隠れた生命を呼び起こすことができる」という認識が示されていました。もちろん、そういうアプローチは ある程度まで有効だろうと思います。
 ただ、大橋さんがプロデュースしたハイパーソニックオルゴールを聴いた時に 計測されたスペクトルは似ていてもそのオルゴールの音と私が体験したバリ島の音には明らかな乖離があり オルゴールに不自然な違和感とそれに対する不快感を覚えた私は、人が音によってできることには 当たり前ですが限界があると感じていて、そんな私には 人が世界を癒したり隠れた生命を呼び起こしたりできるという物言いは(そのための助力となり得るとは思うものの)傲慢に響くのでした。







<『音と文明』より>


[上]ハイパーソニックの音はスペクトルは広いけれど波がトゲトゲしている。
[下]人口的な環境における音は 極端にスペクトルが狭い。



 冒頭の動画に出ている西村さんは、水の格差をなくしたいというUBIならぬUBW[ユニバーサル・ベーシック・ウォーター]という概念を示されていおり、私はその考えに共鳴します。いつでも どこでも (宇宙全体の中でバランスが取れ その場にふさわしい)生きた水が得られるような場を 植物や鉱物と協調しながらつくっていきたい…。
 それが夢物語ではないかもしれないと思わせてくれる記事については、余力があれば後ほど和訳文を投稿したいと思います。
 それこそが 産土[うぶすな]というものなのではないでしょうか。



「光と物質、物質から光へと連続的に変化する」粒子を作り出すことに成功した、との報道を目にしました。『ネイチャー・マテリアルズ』誌で4月14日付で発表されたとのことですが、専門誌に掲載された研究が後に取り消されることもあるものの、本当なら刺激的な話です。
 電磁波[=光]と物質それぞれのエネルギー構造が どのようなもので、それらがどのように関わり変態するのかが、解明されるかもしれません。ずっと思ってきた「物質と非物質」「物質と意識」は元は同じもの、ということが、ぐっと腑に落ちるのではないかと、一人ワクワクしています。

 この記事の中で特に興味深いのは、「この粒子にとって光と物質はコインの裏表のようなもので、物質面のおかげで互いに相互作用することができる。」という部分。この粒子に限った現象かもしれませんが、電磁波/光の場を 物質の場が繋いでいる、と捉えることができます。

 今読んでいる『量子で読み解く 生命・宇宙・時間』(吉田伸夫・著)では、中途半端な…というか 理解と知識が乏しい者の浅い理解で捉えていた「量子」観が、まだ途中ではあるものの 覆されつつあり、もちろん吉田さんの認識が唯一の正解ではないにしろ 本書を読み終えたときに改めてこの記事を読むと、また新たな気づきや疑問や興味が生まれそうな気がしています。

 冒頭でリンクした記事が削除される可能性を鑑み、以下、勝手ながらその内容を転載しておきます。写真も本記事からお借りしました。




***

古代ナミビアの宝石が
未来の量子コンピューターの鍵を握る






©︎University of Andrews

 
 セント・アンドリューズ大学(スコットランド)をはじめとするグループによると、古代ナミビアの宝石によって紡ぎ出された特殊な光は、光をベースとした量子コンピューター開発の鍵を握っているそうだ。

 同グループは、ナミビアで採取された「酸化銅(Ⅰ)(Cu2O)で組成された宝石を使って、これまでで最大の光と物質のハイブリッド粒子「リュードベリ・ポラリトン(Rydberg polaritons)」を作り出すことに成功。

 その成果を『 Nature Materials』(2022年4月14日付)で発表した。


光と物質のハイブリッド粒子「リュードベリ・ポラリトン」

 光と物質のハイブリッド粒子であるリュードベリ・ポラリトン(Rydberg polaritons)は、光から物質、物質から光へと連続的に変化する。

 この粒子にとって光と物質はコインの裏表のようなもので、物質面のおかげで互いに相互作用することができる。

 この相互作用は、「量子シュミレーター」という特殊な量子コンピューターを開発する鍵となる。

 量子コンピューターの情報は「量子ビット」として保存される。従来のコンピューターで用いられる「バイナリー・ビット」は、0か1だけで表される。

 ところが量子ビットは0と1いずれか一方だけでなく、0と1を同時に表すことができる。量子コンピューターがはるかに多くの情報を保存し、複数の処理を同時にこなせるのはこのためだ。

 それによってパワフルに作動する量子シュミレーターならば、物理学・化学・生物学など各分野の難問を解くことができるだろう。

(略)





photo by iStock



合わせ鏡で閉じ込めた光からハイブリッド粒子を生成


 リュードベリ・ポラリトンを生成するには、まず反射率の高い2枚の鏡の間に光を閉じ込めなければならない。それから酸化銅(Ⅰ)(Cu2O)結晶を薄く磨いて作った厚さ30マイクロメートルの板を鏡に挟む。こうして生成されたリュードベリ・ポラリトンは、従来のものより100倍も大きい。

 なお研究グループは、実験に使われた酸化銅(Ⅰ)を含む赤銅鉱をネットオークションサイト「eBay」で購入したとのこと。色の範囲が極めて狭いリュードベリ・ポラリトンの生成は至難の技だが、素材を手に入れるだけなら簡単だ。


赤銅鉱は、金属に似た光沢、またはダイヤモンドのような光沢のある赤みがかった銅酸化鉱物で、
組成は酸化銅(Ⅰ)/ image credit : iStock



 研究グループは現在、この生成法を洗練させ、やはり量子シュミレーターに必須の「量子回路」を作成する方法を探っているところだ。


References : Ancient Namibian stone could hold key to future quantum computers / written by hiroching / edited by / parumo 


 このテレグラム・チャンネルで昨日アップされた動画を観て、これまで考えてきたことや気になっていたこと...いろいろなことが「動的平衡」というところで つながってきました。
 この動画で語られていることは、自然栽培の在り方そのものですし、言葉や意識というものがウイルスと似ていると感じてきたことにも合点がいきました。
 いま 山際寿一さんの『父という余分なもの』を読みながら考えていたことなどとも合わせて、私(という場)の動的平衡が得られた時点で 文章にまとめたいと思っています。

 動画の発信元に掲載の許可をとっていないので、削除される可能性もあり、また 文字だけで読む方が理解できる場合もあるため、以下、日本語訳を書き起こしておきます。






<以下、動画の日本語訳です。(色による特定の文章の強調など)若干、個人的な判断で動画とは違う表記になっているところがあります。>


 ウイルスは、微生物叢[マイクロバイオーム/microbiome]に属すると、大きく間違って分類されました。

 微生物叢。
 これは明らかに2つの言葉からなり、最初の“微[マイクロ/micro]”は 小さな事を意味し、2つ目の“生物[biome]”は 生きた有機体組織を意味しますが、ウイルスは微生物叢に属さないことが分かりました。なぜなら、ウイルスは生きた有機体組織では無いからです。ウイルスは、エネルギーを生産することもなく、増殖することも出来ません。
ウイルスは、まさに遺伝子信号の小包[パッケージ/package]です。ウイルスはその中に、DNAを組み立てる酵素やその他の物を有しません。
 つまり、ウイルスはまさに、遺伝子情報の連絡網なのです。


 でも実際に微生物叢の定義を読むと、大抵の場合、ウイルスを含んでいます。そこで、なぜウイルスが含まれているのかって聞くと、とってもとっても小さいからです、と言います。
2つ目の言葉[生物]を外したんですね。まあウイルスはとてもとても小さいから、とにかくそう呼ぶべきですね。それは比較的些細な間違いに見えます。もっとも、バクテリアや壊疽[エソ]に関して発展してきた病原体論に基づく経験すべてを踏まえ、それをウイルスのような不生物に適用しない場合にのみ、些細なことでしょう。

 我々は、微生物叢の基盤全体を誤解してしまったのです。

 ウイルス集合体/ウイルス叢は、バクテリアや多細胞生物から生ずる遺伝子情報からなる独自の生態系です。
 我々がウイルスと呼ぶ遺伝子情報の少なくとも50%は、バクテリアから分泌されます。それらをバクテリアファージと呼びます。ウイルスと呼ぶ代わりにバクテリアファージと呼ぶのですが、バクテリアファージは、バクテリア間で遺伝子情報を組み立て、伝達、解読する方法で、バクテリア内に入って行き、そこでバクテリアが増殖することを選べば、増殖させ、より多くのファージを自然界[細胞外]に放出します。つまり、遺伝子信号を増幅することができるのです。

 興味深いことに、人間であろうがバクテリアであろうが、細胞には多数の管理機能が備わっていて、それによって、どのDNA、どのRNAが細胞の細胞質に侵入出来るかが決められ、また、どのDNA、RNAが、厳しく管理された生体機能に作用して、タンパク質を生産するとか、遺伝子を機能させるか否か、といったことをも決定します。
 つまり、これは厳しく管理された遺伝子アップデートの通信網です。
 ウイルスは、適応を達成するといったまさにその使命のもとに造られます。また、ウイルスが自然界に出て行って 他の遺伝子が常に行なっている同じことを繰り返すことはありません。つまり、同じことを繰り返すといった無駄な努力をしないのです。もし、遺伝子情報がすでに生物体に読み込まれていて、均衡・バランスが取れた状態であるならば。

 こういう訳で、我々は、同じウイルスを何度も繰り返し生産することはありません。
 我々は、ウイルスを取り入れて、しばらくの間それを増殖するでしょう。そして、そのウイルスの遺伝子情報をもっとも必要としている体の組織に持ち込みます。そうして、バランスのとれた状態に至ります。

 もし、特定の種類、系統のインフルエンザに罹ったら、その遺伝子配列全体を、体内でアップデートします。興味深いことに、DNAは常に修正されていることが今ではわかっています。
ヘルペス・ウイルスや慢性的なウイルス症状などは、それらの遺伝子情報がとって代わって遺伝子の長期保存器官に組み込まれたことの現われです。

 遺伝子配列によって解明された人の遺伝子情報は、その総量の50%はウイルスによって得られた物で構成されています。実際、10%の遺伝子情報はHIVのようなレトロ・ウイルスから直接組み込まれています。つまり、現在我々を人間とする遺伝子情報は、数十億年の道のり(のようなもの)で、それはウイルスによって組み込まれた遺伝子情報が複雑かつ知的に組み立てたモノの中に存在しています。これらのウイルス性の遺伝子要因がいかに重要であるかを強調したいと思います。
 これらは、「ああ、バイキンに晒されてしまった。誤って私の体内に持ち込んでしまった。何とか抑えておこう」といったものではありません。いいえ、これらは人間としての適応能力にとって一番肝心なことです。

 幹細胞の遺伝子情報がこの良い例です。
 何百年も前に受け入れた[感染した]レトロウイルスによる遺伝子の修正がなければ、幹細胞は、それらが肝臓や骨や腎臓の細胞に変化するといった分化能力を持ち得なかったのです。
 同じ事が、まさに最初の人類を生み出す胎盤を形成する仕組みにあるという、もっとも興味深い事実があります。胎盤は、その形成を調整するレトロウイルスやウイルスの情報遺伝子が必要だったのです。つまり、もし我々の遺伝子情報に対するウイルス生の修正がなければ、人間を生み出す生物的知性と適応能力を持ち得なかったのです。


 さて、いかにして、このコロナ禍においてこれほどまでに失敗したのでしょうか?
 地球上の命を生み出す、まさにその遺伝子信号を悪魔化する行為。
 残念ながら、我々はその行為を行なったのです。
 製薬会社やWHO[世界保健機関]とCDC[疾病予防管理センター]の機能の仕方が、遂に見せたその手の内を目の当たりにするのは、興味深いものでした。そしてこの計画全体は、数百万ドルのワクチン製造を狙ったもののようです。彼らには、いかにしてこのウイルスと均衡のとれた状態にするかを我々に示すという考慮が無いようでした。この均衡状態というのは、もちろん、これまで毎回コロナウイルスが発覚した際には起こったのです。

 SARS[重症急性呼吸器系症状]が自然終息、ワクチンの必要なし。
 2021年、MERS[中東呼吸器系症状]が自然終息、ワクチン無し。
 ワクチンは必要なかったのです。
 なぜなら、遺伝子的修正が行なわれたからです。
 ウイルスに晒された人々は、ホミオステイシス/均衡状態を発達させ、ウイルスによる修正をいかに取り入れるかを見つけ出し、そして、最終的にウイルスを発散しなくなります。(ウイルス=エクソソムを示唆) ウイルスを殺すことによってなされたのでは無いのです。我々は、ウイルスを殺す抗体が必要で、、、といった信仰を持っています。ウイルスを殺したりしません。最初から死んでいます。殺す必要など無いのです。
 やるべきことは、体の機能とその感度を良く保つことで、それによって、ウイルスが体内に入ってくるにつれて その遺伝子情報を増幅したり抑制したりして調節します。ウイルス群を微生物に属するという誤った解釈によって、これらの死んだ、無機質の遺伝子修正に、病原体理論が用いられたことを認識するのは、身が引き締まる思いです。
 我々は、科学的に、医学的に、そして政治的に重大な失敗を犯してしまいました。
True currency of the earth is not money, its Energy.
Energy is the currency of the universe.

When you "pay" attention to something, you buy that experience.
So when you allow your consciousness to focus on someone or something that annoys you,
you feed it your energy,
and it reciprocates with the experience of being annoyed.
Be selective in your focus
because your attention feeds the the energy of it and keeps it alives,
not just within you,
but in the collective consciousness as well.

<(アメリカ時間)4月9日にOFFICIAL CHARLIE WARD TELEGRAMへ投稿されたEmily Maroutianさんの文章>




現在の有力な宇宙論の仮説の一つであるインフレーション理論において
この宇宙は量子ゆらぎで始まった、
とされる。
ゆらぎとは 非対称な状態。
「量子」と私たちが認識できること自体、「量子」もまた非対称であり場のゆらぎである。
原初の非対称な “場の状態”、“エネルギーの状態”が
かかわりあって
からまりあって
編み上げられて
さまざまな現象 つまり 私たちが体験しているこの宇宙をつくっている。

この宇宙は
「(エネルギー)場の非対称な状態」の
さまざまな関係性/構造によってつくられている。

安定している状態とは 非対称な場が関係し合うことで平衡を保っている状態、と見ることができる。

違う見方をするなら、
あらゆるものは動きゆらいでいる(この)宇宙において
作用する動き/ゆらぎを 受け入れられ処理できる関係性/構造であるなら“安定している平衡状態”を保てるが、
作用する動き/ゆらぎが その関係性/構造の対応できる範囲を超えてしまった場合は“不安定な状態”や崩壊や混沌をもたらすことになる。


冒頭に引用した文章では
エネルギーを注ぎたくないことに注意を払わないよう
喚起しているが、
それは
現在の社会を生きにくいものにしているキャンセルカルチャーやポリティカルコレクトなどの根底にある「関係性の断絶」につながってくる。

「関係性の断絶」が豊かな社会をもたらすとは到底思えない。

これは、善悪二元論的な考え方であり、
それこそが現在のさまざまま問題の主たる要因だと考えられるし、
エネルギーのかかわりによって宇宙がつくられているのだとするなら
二元であれ三元であれ (そこに生じた)かかわりを分断したままで放置するのは、宇宙のあり方にそぐわない。

意識もまた 非対称の場/エネルギーがあみあげたものであり、
それは 他のものと同様に
宇宙のすべてと(自覚できるか否かに関わらず)かかわりあっている。

意識を
宇宙の営みから外れる「分断」に使うのではなく、
(もしそうしたとしても いずれは宇宙の営みに還元されるから 宇宙を巨視的に捉えた場合はどうでもいいこと、ではあるけれど、その場合 ヒトやその影響を受けるものたちは 宇宙の営みに還元される過程で大きな(関係性/構造の)崩壊を迎えることになるから、ヒトの一員である私としては避けたいと思っている。)
かかわり
あい
あらたな関係性/構造を
つくっていように
非対称の場/エネルギーを 使いたい。

このブログの《注3》で引用したように
攻撃とは「相手にバランスを求める」ということ。


(古)武術が伝えてきた大切なこと。

きちんと かかわる
ということ

かかわって
あらたな動的平衡状態
あらたな関係性/構造を つくること

あまりにも
分断してきたものの乖離が大きすぎて絶望的に思えるかもしれないけど
ヒトがつくったものなのだから
ヒトがあらためることはできるはず

それは
自分(たち)がかわっていくことでもあります





【補記】

payは 日本語で「買う」と訳すことができます。
「買う」は「かう」という音で、その音は「交う」と記すことができます。
「かかわる」と「交う」は近しい概念。


また、こちらのサイトの解説によれば、「」と「」は同じ行為[=状態]の異なる側面を表しているそうです。「měgという音」[*呉音でメ、漢音でバイ]がその行為/状態をあらわしていることになります。

買い手は自分にないものを売り手から求めようとする。
これに対して、売り手は求められるものを買い手に出す。

本文中に引用した
“攻撃とは「相手にバランスを求める」ということ”、という言葉を思い出します。

字源を見ると、売という文字は「買」に依拠しています。
買は「网+貝」。
「あみ」を意味する「网」は、「見えない」というイメージを内包するとのこと。

この字において財貨を表している「」のコアイメージは
「二つに分かれる、割れる」。
財貨を“宇宙の具象”と拡大解釈するなら
“(かつて分かたれた)見えないもの/見えない領域”のかかわり合いが宇宙(の具象)をつくっている、というイメージが浮かんできたりもします。





 前回のメモ記事を前提とするなら、
 私たちの存在を流れるエネルギーは 母音に拠っている。

 母音に乗ったエネルギーは、子音のフィルターを通過し、イメージとしてはトコロテンみたいに流れ出していく。


 すべての言語を 一定の条件下で 厳密に測定したわけではなく、あくまでも限られた個人的な体験でしかないのですが、“「子音+母音」のペアおよび「母音単体」の音で構成”されていない言語 つまり子音が複数連なることが常態化している言語は その使用者の体を内側に向かって硬くしていく、実感があります。つまり、その種の言語は体を硬直させ、体内の流れを滞らせる傾向が強いように思われるのです。

 もちろん、体を硬直化させ 体内の流れを滞らせる要因は、他にもいろいろありますし、言語を用いたり思考すること自体が 体を硬直化させる働きをしたりもします。

 流れを阻害しない(であろう)言語と考えられる日本語であっても、“そのように”意識して用いなければ 様々な環境によって硬直した体の影響の方が大きくて、せっかく言語が有している素晴らしい働きを発揮させることはできません。

 どんどんヒト(の心身すなわち体)と社会が硬直化し その自覚がないままでいくら思考してみても 人が生きやすい社会へ向かう手がかりを得ることはできないのではないか、と思うのです。

 まずは体の(こわばりや歪みなどの)フィルターを取り除き、自然な流れを取り戻し、それによってもたらさせる繊細な感受をもって 社会や環境のさまざまなものことを受け取り、より快適に生きられる状態をつくっていく…。
 たぶん、希望的観測も含めてですが、自然な感受 しなやかで繊細な感受を取り戻す過程において、「(子音+)母音」の音で構成される言語の可能性を実感し その真の力を発揮させることができるのではないかと、私は考えています。








【追記(2021/04/03)】


 言葉の網ですくい切れないものがあふれている世界に、つい最近まで人間は他の動物と一緒に暮らしていた。言葉に頼れば頼るほど、僕たちの世界はそれ以前に獲得した豊かな世界から離れていく。それは生物としての人間にとってあまりにももったいない損失なのではないか。しかし、長い進化の歴史を通じて鍛え上げてきた感性の中に言葉を調和させることで、より幸福な世界を手にすることができるのではないか。

<『ゴリラの森、言葉の海』より山極寿一さんの言葉(P.216)>


 感性と言葉をつなぐのが、体。
 それが得意な言語の一つが、日本語。だと、私は考えていますし、実感しています。







 母音は 体から流れ出すエネルギーの流れのカタ

 子音は 体から流れ出すエネルギーの構造のカタ、(この記事の冒頭で日野さんが語る)フィルターのようなもの



個々の現象を普遍へつなげる(こと) = みち[MITI]/道

  「現象」とは 環境/他との相互作用であり、
   編まれる うごき/なみ


  「みち」を求めるうごきは 一方向

  「普遍」は 例えるなら あらゆる数の最小公約数。
   つまり「1」であり「一」。
   次元でいうなら 一次元よりも低い「低/底 次元」。




その “おこなひ[行ない]” を修める(こと)
 = 修行
 = (普遍との/みちとの)あい


  行//あい としての、文化 社会 制度



普遍とつながった状態でおこなひができるありようが、無為自然

  「あい」から「あう」へ



不知の領域とのかかわりの中で存在する私たちにできるのは
「あい」に いくこと[行くこと/生くこと]
「あい」つづけること
「あい」しつづけること



これらすべては 「個」から出発している




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