2024-041 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 prev 03 next 05
70  69  68  67  65  64  62  61  60  59  58 


Think Out Loudとは
考えていたこと、あるいは考えていることを声に出すのではなく、
声を出しながら考える行為である。

文字で書くことを優先させる習慣から、
声を出しながら同時に思考する行為に変えるだけで、
脳の質と速度は飛躍する。

ミュートで思考するよりも
プリミティブな言語空間に到達する。



 この 梶川泰司さんのツイートは、私が模索している「全体でかんがえる」(*この「全体」とは文字通りの意味)というあり方に 大きな指針を与えてくれました。

 とはいえ、いまこの文章を書くにあたっても なかなか実行できず、これまでの習慣…つまりはこれまで構築してきた回路や場というものに いかに縛られているかを実感しています。

 声とは、まさに わたしの場と世界とのまじわりで生まれたものを体が感受し それを世界へ発する流路です。エネルギーの流れであり かつ エネルギーの構造体でもあり。現象と(可能無限的な)意味が同居しています。

 今朝、布団の中で 声を出しながら思考することを試みているとき、皮膚という「膜」が 強烈に意識にのぼってきました。これまで 発生的に「脳は第三の皮膚である」と捉えていたのですが、それがよりリアルに実感されたのです。
 そして、受精卵のような 原初の生命体ような「一つの細胞」となった自分を、また 膜で囲われて生まれたばかりの初々しい「生命体の場」である自分を実感し、膜が“思考”の場であり 最前線であることを 体感したのでした。

 ミュートで思考すると 膜は起動しません。
 ミュートで思考すると エネルギーは脳の中へ凝っていき、ロダンの「考える人」のような 考えることが出来ない体になっていきます。
 考えていたことや考えていることを 声に出すのも、ミュート思考の延長です。

 声に出しながらかんがえると 全体の膜[*たぶん皮膚だけでなくfaciaや細胞骨格などの結合組織も]が起動し連動します。
 いや 全体の膜が発動することで、声に出しながらかんがえることができるようです。

 膜のネットワークの中に “現時点で最も新しい形態である膜”としての脳が位置づけられているのが、感じられます。



 まだ 始めたばかりなので、この認識が正しくないかもしれません。
 あらたな場づくりに取り掛かるよろこびだけは、確かにあります。

 果たして このあり方は 本当にわたしが求めているものなのかどうか。それも含め、どうなっていくのか。
 これからが楽しみです。




プロフィール
HN:
Ri-Design
性別:
非公開
ブログ内検索
"Ri-Design" WROTE ALL ARTICLES.
PRODUCED BY SHINOBI.JP @ SAMURAI FACTORY INC.