11月6日、脳科学者の池谷裕二さんが次のように呟いていました。
【五感】
視聴味嗅触の五つの感覚のうち、視覚と聴覚はとりわけ重視されます。
しかし、これは英語を中心とする言語圏の特徴にすぎないようで、
その文化圏で用いられる言語体系によって
どの感覚が重視されるかが異なるそうです。
今朝の『PNAS』誌より
*
文字通り体すべてを使って“全体”で思考するトータルな活動が 現在そしてこれからの人にとって重要になってくると考えている私にとって、この内容は示唆的です。
人の感覚・認知は五感に限定されないもっと全体的なものであると思っていますが、五感に限っても視覚と聴覚という 非常に多くの情報を処理できる感覚であるがゆえに突出してしまった二つの感覚の偏重が、現在のアンバランスさを生み出している一因 というよりも かなり主要な原因の一つであるように思えます。「日本語の文章が視覚的になって ただちに映像が浮かぶようなものになっている」という趣旨の 以前どこかで目にした一文は、“英語を中心とする言語圏”の(価値観・思考・思想などの)影響を強く受けた“日本語の現在”を(図らずも)指摘していたと言えそうです。
現在、世界のコミュニケーションは英語を中心に進められています。英語は、松岡正剛さん曰く「混成交差する民族たちの曖昧な言語混合が生み出した人為言語」とのこと【*注】。そんな出自が 異なる母語の話者にとって使いやすいツールとして 政治力学とは違う側面からも英語の拡散を後押ししているのかもしれません。
しかし、言語は概念の体系であり 認識が立ち上がってきてモノ・コトが起こる「コト場/事場」であり 本質的には翻訳は不可能であると考える私は、様々な分野の最先端の知が英語によって いや 英語に限らずひとつの言語によって構築され共有さている現実に 危惧を覚えます。世界の認識が一元化してしまうからです。
それぞれの言語・コト場が本来持っている感覚を改めて取り戻しand/or獲得しand更に進化させ その立ち位置から“全体で”思考する人々が、特定の言語に偏ることなく情報を交流・共有させ 地球規模の多元的な“全体の思考”を創り出すことから、次代の新たな地平がひらかれていくのではないでしょうか。
言語/言葉は、それぞれの集団の文化であるにとどまらず、ヒトが世界とコミュニケートする扉であり 認知の基礎であり 可能性の泉であり 未知を耕す鋤であり耕された土であり、それゆえに地球の公共財なのです。
【注】
十一世紀以前のイギリスは多数の民族の到来によって錯綜していた。ブリトン人、アングル人、サクソン人が先住していたうえに、そこへケルト人、ローマ人、ゲルマン人、スカンディナヴィア人、イベリア人などがやってきて、最後にノルマン人が加わった。大陸の主要な民族や部族は、みんな、あのブリテンでアイルランドでウェールズな島々に来ていたのだ。全部で六千もある島々だから、どこに誰が住みこんでも平気だった。
この混交が進むにつれて、本来は区別されるべきだったはずの「ブリティッシュ」と「イングリッシュ」との境い目が曖昧になる。いまは我がもの顔で地球を席巻している「英語」とは、こうした混成交差する民族たちの曖昧な言語混合が生み出した人為言語だ。それゆえOED(オックスフォード英語辞典)後の英語は、これらの混合がめちゃくちゃにならないようにその用法と語彙を慎重に発達させて、「公正(フェアネス)」や「組織的な妥協力」や「失敗しても逃げられるユーモア」を巧みにあらわす必要があった。
こんな事情にもとづいてイギリス人たちは、自分たちの起源神話をギリシア・ローマ神話にもケルト神話にも、ゲルマン神話にも聖書にも求めることにした。恣意的で、ちゃっかりした編集である。
(『擬 MODOKI 「世」あるいは別様の可能性』P.108)
【補記】
「人口過密」も、社会において視覚と聴覚が重視される傾向を推し進めているように思います。例えば、満員電車の中で“見知らぬ他人からパーソナルスペースを著しく侵害され、場合によっては体を接触させる”という異常な状態を日常的に耐えるには、触覚や嗅覚を麻痺させる必要があります。嗅覚は味覚と深く関わっていますから 嗅覚の鈍化は味覚の鈍化へ繋がっていきます。生物としてのヒトが 持てる感覚を豊かにすることはあれ鈍化させることがないようにするには、空間的にも時間的にも一定のスペースが確保されることが必要です。
また、ヒトが関わる情報において (視覚と聴覚への入力が圧倒的な)コンピュータなどデジタルの割合が増えていくことも、同様の傾向を加速していることでしょう。
言葉と“全体”のつながりを深めていくことが、思考を深め 多様な認知を育み 人の可能性をひらいていくために必要だと私は思うのです。
*
【五感】
視聴味嗅触の五つの感覚のうち、視覚と聴覚はとりわけ重視されます。
しかし、これは英語を中心とする言語圏の特徴にすぎないようで、
その文化圏で用いられる言語体系によって
どの感覚が重視されるかが異なるそうです。
今朝の『PNAS』誌より
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文字通り体すべてを使って“全体”で思考するトータルな活動が 現在そしてこれからの人にとって重要になってくると考えている私にとって、この内容は示唆的です。
人の感覚・認知は五感に限定されないもっと全体的なものであると思っていますが、五感に限っても視覚と聴覚という 非常に多くの情報を処理できる感覚であるがゆえに突出してしまった二つの感覚の偏重が、現在のアンバランスさを生み出している一因 というよりも かなり主要な原因の一つであるように思えます。「日本語の文章が視覚的になって ただちに映像が浮かぶようなものになっている」という趣旨の 以前どこかで目にした一文は、“英語を中心とする言語圏”の(価値観・思考・思想などの)影響を強く受けた“日本語の現在”を(図らずも)指摘していたと言えそうです。
現在、世界のコミュニケーションは英語を中心に進められています。英語は、松岡正剛さん曰く「混成交差する民族たちの曖昧な言語混合が生み出した人為言語」とのこと【*注】。そんな出自が 異なる母語の話者にとって使いやすいツールとして 政治力学とは違う側面からも英語の拡散を後押ししているのかもしれません。
しかし、言語は概念の体系であり 認識が立ち上がってきてモノ・コトが起こる「コト場/事場」であり 本質的には翻訳は不可能であると考える私は、様々な分野の最先端の知が英語によって いや 英語に限らずひとつの言語によって構築され共有さている現実に 危惧を覚えます。世界の認識が一元化してしまうからです。
それぞれの言語・コト場が本来持っている感覚を改めて取り戻しand/or獲得しand更に進化させ その立ち位置から“全体で”思考する人々が、特定の言語に偏ることなく情報を交流・共有させ 地球規模の多元的な“全体の思考”を創り出すことから、次代の新たな地平がひらかれていくのではないでしょうか。
言語/言葉は、それぞれの集団の文化であるにとどまらず、ヒトが世界とコミュニケートする扉であり 認知の基礎であり 可能性の泉であり 未知を耕す鋤であり耕された土であり、それゆえに地球の公共財なのです。
【注】
十一世紀以前のイギリスは多数の民族の到来によって錯綜していた。ブリトン人、アングル人、サクソン人が先住していたうえに、そこへケルト人、ローマ人、ゲルマン人、スカンディナヴィア人、イベリア人などがやってきて、最後にノルマン人が加わった。大陸の主要な民族や部族は、みんな、あのブリテンでアイルランドでウェールズな島々に来ていたのだ。全部で六千もある島々だから、どこに誰が住みこんでも平気だった。
この混交が進むにつれて、本来は区別されるべきだったはずの「ブリティッシュ」と「イングリッシュ」との境い目が曖昧になる。いまは我がもの顔で地球を席巻している「英語」とは、こうした混成交差する民族たちの曖昧な言語混合が生み出した人為言語だ。それゆえOED(オックスフォード英語辞典)後の英語は、これらの混合がめちゃくちゃにならないようにその用法と語彙を慎重に発達させて、「公正(フェアネス)」や「組織的な妥協力」や「失敗しても逃げられるユーモア」を巧みにあらわす必要があった。
こんな事情にもとづいてイギリス人たちは、自分たちの起源神話をギリシア・ローマ神話にもケルト神話にも、ゲルマン神話にも聖書にも求めることにした。恣意的で、ちゃっかりした編集である。
(『擬 MODOKI 「世」あるいは別様の可能性』P.108)
【補記】
「人口過密」も、社会において視覚と聴覚が重視される傾向を推し進めているように思います。例えば、満員電車の中で“見知らぬ他人からパーソナルスペースを著しく侵害され、場合によっては体を接触させる”という異常な状態を日常的に耐えるには、触覚や嗅覚を麻痺させる必要があります。嗅覚は味覚と深く関わっていますから 嗅覚の鈍化は味覚の鈍化へ繋がっていきます。生物としてのヒトが 持てる感覚を豊かにすることはあれ鈍化させることがないようにするには、空間的にも時間的にも一定のスペースが確保されることが必要です。
また、ヒトが関わる情報において (視覚と聴覚への入力が圧倒的な)コンピュータなどデジタルの割合が増えていくことも、同様の傾向を加速していることでしょう。
言葉と“全体”のつながりを深めていくことが、思考を深め 多様な認知を育み 人の可能性をひらいていくために必要だと私は思うのです。
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