今日届いた 自然栽培の野菜の荷に入っていた冊子の中の一文。
自然というトータルな“アナログ”における 人の意識やはたらきや創造という“デジタル”の あり方の、あるいは 可能性や進む方向を発見し それを全体の中に改めて位置づける際の、ヒントとなるように思えます。
「自然栽培が今できているのは、慣行栽培(の経験)があったからだよ。
(肥料を施しての)きゅうりの最大のパワーと姿を見てきたから、
どうすればきゅうりが採れるのかっていうのがわかったんだよね」。
自然栽培でのきゅうりの姿しか見たことがなければ、
それ以上どんな風に手をかけていいのかわからなかったという。
(肥料を施しての)きゅうりの最大のパワーと姿を見てきたから、
どうすればきゅうりが採れるのかっていうのがわかったんだよね」。
自然栽培でのきゅうりの姿しか見たことがなければ、
それ以上どんな風に手をかけていいのかわからなかったという。
<文中最初の()内の言葉は、私が挿入したものです。>
自然というトータルな“アナログ”における 人の意識やはたらきや創造という“デジタル”の あり方の、あるいは 可能性や進む方向を発見し それを全体の中に改めて位置づける際の、ヒントとなるように思えます。
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