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 ARTという語は、インド・ヨーロッパ祖語のar-を源に持つそうです。
 その意味は、“to fit together”。

 し合わす
 さまざまな異なる舞台上のピースが “しあわす” ためのものとしての アート。
 さまざまな異なる舞台上のピースと 自然に “しあわせられる” 細胞外マトリックスのような場をリンクするものとしての アート。
 すべての人がもつ生命の流れに直接触れるものとしての アート。
 すべての人たちがもつ宇宙の流れに直接触れるものとしての アート。
 そういった種のアート/表現が、さまざまな異なるピース/宇宙が しあわす際に生じるであろう歪みを 自然な形で解消してくれるような気がするのです。
 ここで、人類学者の長谷川真理子さんが 言語の進化についての講演で「ヒトだけが世界を描写する」とおっしゃっていたのが思い出されます。他の霊長類は言葉を使えるようになっても積極的に使おうとしないし、使ったとしても 「バナナが欲しい」といった自分の要求を伝える手段に限定されるけれど、ヒトはどんなに幼くても積極的にしゃべるし 「この花きれいだね」というような 生存に関係しない“世界の描写”をする、のだと。世界を描写するとは、自分が知覚したもの すなわち自分の内なる世界/宇宙を 表にあらわすことです。それは、どこまで意図されるかは別にして 自分の世界/宇宙を他者と分かち合おうとすること、です。
 「分かち合う」という ホモ・サピエンスに特徴的な振る舞いもまた、さまざまな異なる舞台上のピースを 自然につないでいく営み、なのかも知れません。《注》

 調和を意味する言葉そして音として、私たちは日本語に「和」「わ」「ワ」というコトバをもっています。「分かち合う」という言葉の最初の文字/音でもあります。
 言葉の大本には 発声音と体(ひいては感情や意識)の相互作用がある、と私は考えているのですが、その相互作用を考えるときに参考になるなぁと思っているのが (字源からさまざまな変遷を経て現在使用している形となった)アルファベットです。
 すなわち、「わ」は「WA」。
 Wは二つのVが重なって(あるいは、二つのUが重なって)できた文字ですが、そのVはUやFと同じ原シナイ語のワウを起源としているそうです。音素記号であるがゆえに、個人的には、アルファベットの文字は(象形だった)字源から自由になり 音のイメージを表記する記号として洗練されていった印象を受けます。その立場から「WA」という文字を捉えると、下/内から突き抜けてor割けて[=VV/UU=W]突如として合わられるエネルギー[=A]、とういう状態が浮かんできます。まさに、驚いたときに発する「わっ!」という状態がふさわしい、そんな感じです。
 『アルファベットの事典』は、「V」の解釈として 老子の「埏埴以為器。当其無、有器之用。」(=粘土をこねて器をつくる。そこに何もない空の部分があるので、器としてのはたらきがある。)を引用し、UとVの形は「盃や鉢の形を思わせる。これらの物の機能は、受けること、そして入れることである。Vは単語vagin(*vagina:膣)の頭文字であり、Uのほうは単語utérus(*uterus:子宮)に2度もあらわれる。」(P.130)とし、Wについては「WはMの上下を逆さにした形ににており、同じようにその形によって水の絵文字と結びつく。それにWはドイツ語のwasser(水)、英語のwater(水)、wet(濡れた、湿った)などの頭文字でもある。」(P.136)と記しています。
 「WA/わ」が水につながるイメージを内包しているのは すべて(の人)に通底している“流れ”と呼応するようで、興味深いです。そして「WA/わ」と発声すると 内から出現した/あらわれたものが周囲へ広がっていく(体)感があり、自分のこと そして自分たちのことを「わ」と発声するのも、そして調和すること しあわすことを「わ」と発声するのも、個人的には実感として理解できます。
 また、上下反転関係の形をした(=180度回転の対称性を持つ)「M」について 上掲の本は、「水と縁の深い文字Mは、象徴的な意味であらゆる物質的生命のみなもとであり、その音と、音のもたらす身体感覚によって、あらゆる精神的生命のみなもとでもある。Mはこれらの2側面をもつことで、身体と精神の完全な合一を実現しているようにみえる。」(P.96)と解釈します。「A」のように始まりの形から180度回転したり、「H」のように90度回転したりするなど、アルファベットにおける回転対称性は 共通するものを有しているように思える私は、「WA/わ」と同じくらい「MA/ま」(=間→あわい→スペース/余/遊び/虚/空)というコトバに 調和や調整のはたらきを感じるのです。
 そしてまた、「わする」という言葉が 「和する」だけでなく「忘る」という意味を持つことも、興味深く思えるのです。

 Wという文字。記号。場、コトバ。
 最後に いささか唐突ではありますが、現在の数式で使われている「=」の代わりに 「W」を用いるのがより適切ではないだろうか、ということを記して、一旦の区切りといたします。





《注》
 私たちが世界を描写して他者に伝えようとするのは、「自分の描写を他者も理解しうるであろう」という前提があるからこそ。それは、必ずしも同じようには機能するわけではないけれど 相手もまた 自分と同様のつくりをしている、という前提があるから、もっというなら 命というものを(無条件に)信頼しているからではないでしょうか。




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