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 『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』を ようやく読み終えました。内容に触発されて思考はいろいろと広がっていくのですが、その一つに「ピダハン語の文にはリカージョン[再帰]が無い」というものがあります。リカージョンとは、一つの文の中にいくつかの文章が組み込まれている状態のこと。たとえば「私は、家人が図書館で借りてきた本を 手に取った。」というような 入れ子構造のことです[*言語学をきちんと理解していない私は、正確には「入れ子構造のことのようです。」と書くべきなのでしょうが、文章が煩雑になるので 以下そのような伝聞表現を略することにします]。ピダハン語が世に知られるまでは リカージョンは言語に普遍なものだと考えられていました。


 リカージョンは従来、文のある構成要素を同種の構成要素に入れ込む力と定義されている(もっと数学よりの言い方をすると、実行すると自分自身を参照するような手順ないし命令系である)。鏡と鏡を向かい合わせて持つと、互いの鏡像がどこまでも果てしなく見えるというのが、目で見るリカージョンの例だ。耳で聴くリカージョンの例としては、フィードバックがある。アンプが自分自身の出力した音を拾い、増幅してさらに出力し、それをまた拾って増幅し、延々と出力しつづけるような場合である。(略)
 2002年、マーク・ハウザーとノーム・チョムスキー、テクムセ・フィッチが『サイエンス』誌に、リカージョンは人間言語に固有の要素であると発表し、リカージョンに大変な重責を担わせることになった。三人の主張は、リカージョンが言語の豊かさのカギであり、文法上リカージョンという形の上での技巧があるために言語は制限なく長く、また無数の文を作ることができるのであるということだった。

<『ピダハン』P.318-P.319>


 そのため、著者によるピダハン語の報告は 言語学会に大きな動揺を与えました。
 ヒトの脳を特徴づける性質、と捉えられているリカージョン。それをピダハンは 一つの文章の中で行なわず、文と文の関係性の中であらわします。一般的な言語では「おい、パイター、ダンが買ってきた針を持ってきてくれ」というところを、彼らは「おい、パイター。針を持ってきてくれ。ダンがその針を買った。同じ針だ」と、表現するのです。


 コーホイの発した短い文章を合わせると関係節を含んだひとつの文のようになり、英語ではそうやって訳すことも可能だが、それでいて形がまったく異なっていることに気づいたのだ。コーホイが発したのは独立した三つの文で、どの文も英語と違ってほかの文のなかに組み込まれてはいない。つまりこのピダハン語の構造には、言語学で一般にいう関係節を欠いているのだ。決定的なのは、最後の文「アイシギーアイ(同じ針だ)」で、最初のふたつの文に出てくる「針」を同一のものとしていることだ。(略)わたしはおのおのは独立した文でありながら、一緒になることで意味をなす表現を耳にしたというわけだ。つまり、形の上では関係節とは言えないが、意味的には関係節になるような表現を作る方法はあるということだ。

<同上 P.317>


 リカージョンがヒトの言語文法に普遍かどうか、については 少なくとも今の私は興味がありません。興味をそそられるのは、“おのおの独立した文”を“一緒にする”ことで“相互の関係性”を示す、その認知、その「世界のあらわし方」です。
 通常の 入れ子構造的表現であるリカージョンは、(さまざまな)現象を線的なつながりであらわす意識が 生み出し 用いる手法、のように思えます。世界の出来事を 原因と結果という因果的・直線的な対応に収め その関係性に閉じ込めてしまう意識。それに対し、ピダハンの世界の表し方は、おのおのの現象を独立したものとして認め それらを安易に関係づけることはせず とりあえずまとめて提示することで、「相互に関わりがあり影響し合っているけれど ものごとの関わりっていうのはそんな狭い範囲だけにとどまるものではないよ」という 仏教的な縁起にも似た 世界の捉え方をその根底に持っているようにかんじるのです。そのあり方は、ピダハンが出来事を物語るスタイル〜各文同士が複雑に関わり合い入り組んでいる〜にも 観ることができます。
 ものごと/できごとの関わりを、それを一つの文として限定された関係に落とし込まず 文のまとまりとしてあらわすことは、より俯瞰的な意識が必要であり より高度でそのため脳にとっての負担が大きいと思われるのです。


 現在の社会問題…特に経済制度 そして その根底に横たわる数学、というものを考える中で 「対応」というものを問い直そうとしている私にとって、ピダハンの言語…すなわち世界認識とそれに即した表現 は、非常に興味深く示唆に富んでいます。
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