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 ある朝 掃除機をかけながら、ふと思ったことがありました。
 ヒトは体の中で起こっていることを体の外で繰り返しているor再現しているのではなかろうか---。
 体は 活動中に溜まった老廃物を常に排出して 自らの秩序を保ちます。その振る舞いを、体を拡張させた外界においても行なっているのではないだろうかと。[*注1]


 道具とはヒトの身体機能を拡張させたものだ と言われますが、道具に限らず ヒトが創出するものは自らの身体機能の拡張のように思われます。それがどういうものであれ 創出が意識を介して行なわれる限り 脳の状態を反映しており、つまり私たちは自分たちの脳世界に囲まれて生きていると言えるわけです。

 (ヒトもその一部である)自然は 分散した小規模な範囲で秩序と(その秩序に適合しないものとしての)無秩序が行き来していて、たぶんそれが生物としてのヒトにとって適当なあり方だと思われます。大規模な秩序である「文明」は、人工物だけで世界を埋め尽くす…つまりは脳の秩序で世界を埋め尽くすことであり、本来小規模な範囲で適切に行なわれるであろう“秩序とそれによって生まれる無秩序の行き来”が 行き詰まる状況を生み出します。人工物だけの空間に息苦しさや発狂の気配を覚えるのは、ヒトとして当然であり真っ当なことなのでしょう。
 体は 自らの秩序を保つために、ヒト以外の秩序に つまりは自然に 自らがつくりだした無秩序を託します。託した無秩序は 別の存在の中に取り込まれて秩序化され、その存在もまた 自らの秩序を維持するために 無秩序を排出し…。秩序と無秩序は、自然あるいは宇宙という舞台を介して 託され手渡されていきます。それが、いわゆる生態系というもの。ヒト(の生存)には自らを取り巻く世界に ヒトがつくったもの以外の秩序が必要不可欠なのです。

 秩序は閉じた空間があって初めて成立します。だから生命というものが誕生するに際し 外界から場を分離するための「膜」が果たした役割が極めて重要だったことは、想像に難くありません。生命は自律的にその秩序を再生産あるいは更新していく(外界とは非対称な)存在だからです。ただ、生命の秩序は閉じたままでは成立しません。外界との関わりの中で存在するがゆえに 開かれた場でもあります。ここでいう外界とは、ヒトがつくったもの以外の秩序である 自然や宇宙です。その 外界から閉じていてかつそれに向かって開いている境界、膜、つまり表皮は、生命誕生時の単細胞生物の細胞膜の頃から蓄積されてきたであろう 内外の相互作用やバランスを絶妙に保つ一種の知恵やノウハウを備えているのではないか、と思うのです。
 ヒトの意識がつくりあげた秩序である社会を 体が拡張した場として眺めると、世界中のいたるところがネットで繋がり 境界は日々曖昧になり ランダムな無秩序の様相を呈するさまざまな情報に晒されて、現在 ヒトは皮膚感覚を喪失したような状態、と捉えることもできます。言い換えれば、体が地球サイズに膨張してしまったわけで、その中で生じているさまざまな問題や歪みを排出できず 内に抱えたまま、という状態。ですから、その主張するやり方の適不適は別にして、昨今の移民に対する一部の反応や イギリスのEU離脱や ナショナリズム的・民族主義的雰囲気や 不寛容の広がりという状況は、「皮膚感覚の喪失」という視点から捉えることもできそうです。
 さらに 皮膚感覚を機能させるのに必要だと思われるパーソナルスペースは、都市生活において 人的・物的・設計的に過密な状況下で常に侵食され続けており、そこで生活するには 皮膚感覚を麻痺させるしか術はありません。[*注2]

 皮膚感覚の喪失については、別の要因も(と言いますか多分こちらが主因だと思うのですが)思い浮かびます。それは 子どもへの授乳期間とその間の接し方、です。
 少し前に放映された『ダイヤモンド博士の“ヒトの知恵”』は、パプアニューギニアなどの伝統社会での生き方を参考に 現代社会を考えるシリーズでした。その第2回で見た伝統社会での子育ては 別の番組で見たオランウータンの子育てそっくりだったのです。
 狩猟採取民の伝統社会では 母親は赤ちゃんを常に抱っこしていて、赤ちゃんは母親と過ごす9割の時間はお母さんと肌が触れ合っている状態と言います。寝るときは両親と一緒の添い寝。そして泣けばすぐに授乳してもらえ、夜でも赤ちゃんは母親の上に寝ているので お腹が空いたらいつでもお乳が飲めるのです。[*ということは、伝統社会の母親は夜泣きに悩まされることがない、のでしょうか。]また、伝統社会の赤ちゃんは 他の大人たちからも面倒を見てもらいます。これをallo-parenting(代理養育)と呼ぶそうです。オランウータンも赤ちゃんは常に母親に抱っこしてもらっていて 欲しい時にお乳を飲んでいましたし、他の大人たちからも面倒を見てもらっていました。
 添い寝や“泣いたら授乳”は 子どもの自立を妨げるものとして否定的に捉えている人たちや社会がありますが、ダイヤモンド博士の観察するところでは、そうやって育った伝統社会の子どもたちは幼い頃からとても自信に満ちており 臆することなく大人と対等に接することができるのだそうです。子どもを甘えさせるどころか“小さな大人”として扱う伝統社会が[*ゆえに体罰はないそうで、もしも親が子どもに体罰を与えたなら それは離婚の原因となると言います。]、そのような育児を採用しているのです。



「伝統社会の赤ちゃんは allo-parenting(アローペアレンティング)によって安心感に包まれて育ちます。何か要求するとものの20秒でそれが満たされるので、ビクビクすることなく自信を持って成長できるのです。」(ダイヤモンド博士)


 狩猟採集の伝統社会ではオランウータンと同様に危険が常に隣り合わせなので赤ちゃんを常に抱っこしている必要があるわけですが、動機はどうあれ、ヒトは動物としてそのような関わり方をしてきた年月の方が圧倒的に長く 生物としてのヒトにとっって好ましい在り方なのだと思います。特に 乳児期に、世界と自己の境界である肌が、常に母親や他の大人たちと触れ合うことで 肌の感受性/センサーを育み、たぶん「個」の形成に重要な役割を果たしている、と個人的には考えています。
 肌は、表皮は、知覚/認知の最前線。
 それは、言葉や数といった抽象感覚をはぐくむ原初の源。

 もう一つ、伝統社会の子育てで興味深いのは、離乳は赤ちゃんのペースに任せている、という点です。日本でも少なくとも半世紀前までは 数は少ないものの 小学校に上がる頃まで あるいは小学生になっても お乳を飲んでいる子どもがいました。1時間に何度も授乳していると 母親の体から排卵を抑制するホルモンが分泌されるため、赤ちゃんが3歳か4歳になって授乳の頻度が減るまで 妊娠しにくくなるようです。これもまた、危険と隣り合わせの生活においては 抱えて逃げられる乳飲み子は一人であるのが好ましい、という現実の要請から そうなっているのだと考えられます。また、「穀物からは離乳食が容易につくれるので(大人の都合で強制的に離乳させられるため 不妊期間が短くなり)稲作社会になって人口が急激に増えた」という歴史学者の指摘からは、離乳食をつくれなかったから という要因も考えられます。しかし、子どもの発達過程を鑑みたとき、自分中心の視点から 他人の立場に立って考えられるようになるとされる3〜4歳に 授乳の頻度が減る、つまり 自然に乳離していく、というのは、相関関係があるように思えてなりません。自然誕生をサポートしている助産師さんが へその緒をつけたままの赤ちゃんが生まれてから自分の力で肺呼吸を始めるまでかかる時間を「自立時間」と呼んでいますが、赤ちゃんが自然に乳離していく年月もまた「自立時間」と呼んでみたくなります。お乳からの自立時間と 常に肌を接している状態からの自立時間と 「個」が芽生えるための自立時間は、その時期と長さにおいて かなり重なっているのではないでしょうか。そして、この世に生まれてから自力で肺呼吸を始めるまでの自立時間は、これらの自立時間の前提として機能する ヒトという存在にとって根本的なものではないでしょうか。[*注3]

 自立とは 混沌や一帯からの分離。
 知覚/認知の はじまり、出発点。
 「一」とは、ある“まとまり”、ある“存在する”をあらわすコトバ/記号/象徴。ヒトの認知や知覚の出発点。と、この文章の中で書きました。
 つまり、「一」のはじまり。
 原初の「一」がうまれるところ。

 このような考えに至って初めて、岡潔さんが『人間の建設』で言っていた次の言葉を ようやく実感をもって受け取ることができました。


 一人の人の生まれたときの有様を見れば、あるいは世界の始まりも見えてくるのではないかということも思います。
 その基本は何かと言いますと、生まれてどれくらいでしょうか。赤ん坊がお母さんに抱かれて、そしてお母さんの顔を見て笑っている。このあたりが基になっているようですね。その頃ではまだ自他の別というものはない。母親は他人で、抱かれている自分は別人だとは思っていない。しかしながら、親子の情というものはすでにある。あると仮定する。(略)
 世界の始まりというのは、赤ん坊が母親に抱かれている、親子の情はわかるが、自他の別は感じていない。時間という観念はまだその人の心にできていない。ーーーそういう状態ではないかと思う。(略)それは何かというと、情緒なのです。(略)自他の別もないのに、親子の情というものがあり得る。それが情緒の理想なんです。矛盾でなく、初めにちゃんとあるのです。そういうものを情緒と言っている。私の世界観は、つまり最初に情緒ができるということです。<P.107-P.109>


 岡さんが「情緒」と呼ぶものを、私は「(世界との)一体感」として理解しています。
 人生に再現性は求められないので、自分が生まれたときの感覚を再体験することは不可能ですが、それとかなり近いのではないかと思われる体験はしています。
 自然の中を歩いているときに。
 自然に浸っているときに。
 声を出しているときに。
 レストランで食事しているときに。

 そのときの実感を 以前のブログで次のように記しました。(読みやすいように(略)は省いてあります。)


 自分もその森の生態系の一部(あるいは もしかしたら全部)になっているように観じられました。
 そんな意識のまま 改めて風景を眺めてみると、連続する風景のどこを切り取っても絵になるのです。そのとき「ひとつ」ということが気になっていた私は、どこをどう切り取っても「ひとつ」になっていることに 驚いた というより 歓びを感じました。
 直接俯瞰することのできない早池峰山を「ひとつ」として観じつつ、いま自分が歩いている北斜面の森もまた そのなかの「ひとつ」であり、その森を歩きながら通り過ぎる風景もまた「ひとつ」となっている…。そして 同じ場所に身を置きながらも 自分の意識を変えると、「ひとつ」だったものが「ばらばら」な風景となってしまう…。


 世界とのさかいを実感しつつ 世界はひとつとしてある、という感覚。
 岡さんは(世界の始まり/情緒に)時間の観念はない、と言っていますが、私は、時間だけでなく空間の観念もなく とはいえ 世界にのみ込まれているわけでもなく、世界から浮上した感覚を介する「体験」だけがある、と上記の体験から思っています。
 在るのは、「ある(在る、生る)」かつ「いる(I流)」という実感だけ。
 その「ある/いる」は一つではなく、全体としての「ある/いる」と その中に在る小さな「ある/いる」。両者は矛盾することなく「ひとつ」として「ある/いる」のです。
 その“世界の始まり”は、うまれる前の 母親のお腹にいるときにあらわれてくるのではないかと思っています。そして 胎児のときから生まれて死ぬまで、世界と自分 ふたつの「ある/いる」を矛盾なく隔てつなぐものが 皮膚だと思うのです。それゆえに、皮膚感覚が適切にはぐくまれる(ス)ペースで ヒトは生きていくことが望ましいと、考えるのです。もしかしたら、座禅や後ろ戸の神というものは そんな“世界の始まり”の「ある/いる」へ人をつなぐために生まれたものなのかも知れません。

 数という抽象概念では この「ある/いる」、岡さん言うところの「情緒」をあらわすことはできないでしょう。あらわすことができるのは  この一体感の際に覚えた“小さな「ひとつ/ある・いる」”として芽生える「一」。その「一」をいだく“大きな「ひとつ/ある・いる」”は、ヒトの知覚を超えたもの、「全」や「闇」の領域がようやく橋渡せるかも知れないものゆえに 人にはあらわすことができない。
 そしてたぶん、始まりの「一」は たし算領域の「一」。
 その後 自他の別ができたときに見つける「1」は、かけ算領域の「1」(=1×1)。
 ではないかと。
 また、生まれてしばらくまで続く時間も空間もない状態から 次に生まれるのが、“体験/実感している場”の延長としての“ひろがり”すなわち「空間」の観念ではないでしょうか。数の世界に対応させるなら たし算の領域。そして次に、場の変化 空間の変化を知覚し、その中に変わらない抽象性を見出すことで、変化を認知し記憶する「時間」という観念を会得する。数の世界でいうなら かけ算の領域。さらに認知の回路に対応させるなら、「感覚」はたし算領域に近しく 「意識」はかけ算領域に近しい…。
 それぞれの秩序は、たし算領域で自分以外のものと繋がりつつ、かけ算領域で(個々の)世界が具体的に立ち上がっていく、ように思います。
 そしてまた、岡さん言うところの「情緒」… 私が「ある/いる」と呼ぶ主観と客観が矛盾することなく同居する/関わりあう/織りなす場 につながりつつ行なうなら、“計算も論理もない数学”というものがもしかしたら可能かもしれず、生命の流れのなかでヒトはその可能性を開いていくことができるのかもしれない、とも思うのです。








[*注1]
 ヒトを進化のプロセスにおいて眺めると 面白いことに気づきます。
 外界の変化に翻弄されてきた生物は、恒温動物となり 哺乳類となって、生き延びるために快適な環境を自らの内に設けることで、外界の変化や状況にあまり左右されることなく生存することができるようになりました。そして、環境の変化への更なる対応を 今度は 体の外へと移し、衣服や道具や住まいや社会といったものをつくり出していきます。つまり、外の秩序を内面化し、ついで 更新された内なる秩序を外へ広げ、そして今 外界へ広げすぎた秩序が生み出す無秩序が 自らの生存を脅かしている、のですね。

 この“外と内の行き来および相互作用”は ヒトの成長過程でも観ることができます。
 ヒトは生まれると まず自分の周囲を認識し その外へ注ぐ眼差しを次に内に向けて自分に気づきます。そして、自分に向けた眼差しを 再び外へと向け…。そうやって、眼差しを 意識を 行ないを、外と内のあいだで行き来させながら ヒトは自らの振る舞いや考えをつくり 修正していきます。まさに入れ子構造的、かけ算的[→き/起]、です。でも あまりにも入れ子構造が複雑になって捻れひずんでしまうと 生命力が奪われかねません。ときには たし算世界[→ある/いる]へ戻る必要がある、いや かけ算世界とたし算世界を自由自在に行き来しながら生きる[→「いる」と「き」の行き来→「いきる」(「いる」のなかに「き」がある)]のがいいのでしょうね。





[*注2]

 『木々は歌う』という本に、衣服がヒトと環境とを断絶していることを示す印象的な記述があります。

 ほかの多くの森林と違って、ここ[=アマゾン*筆者注]では雨の音からたくさんの情報が得られるのだが、ポリエステルやナイロン、綿といった繊維で織った布地は、ぴちょんぴちょん、ぽつぽつ、ぴしゃん、とにぎやかに雨を跳ね返し、雨音はよく聞こえなくなるし、気も散ってしまう。人間の毛髪や皮膚はきめ細かで、ほとんど音をたてることなく雨を受け止める。私の手も、肩も、顔も、音ではなく感覚で雨に応える。
 西洋の伝道団は、当地にやってくると、彼らが開拓し改宗させた僕たちに、衣服を着なければならない、と強いた。意図されたものではなかったにせよ、この規制には、耳を自分自身に向けさせ、森から遠ざける効果があった。それは植物や動物たちとの、音を通したつながりの扉をいくばくか閉ざさせることでもあったのだ。
 ワオラニという現地の部族の人たちと話してみると、ほとんど例外なく、街に行くときに衣服を身につけねばならないことの居心地の悪さや窮屈さをこちらから聞くまでもなく彼らのほうから語ってくれる。ワオラニの人々は何千年も森で生きてきたが、いまその生活や文化が、外部の者たちに脅かされている。そんななか衣服は、何重もの意味で重荷になっているのだ。重荷となるわけのひとつには、音で成るコミュニティとの断絶があるのではないかと思われる。それは多種多様な生き物たちとの関係のなかで生きている人々にとっては重大な損失なのだ。工場労働者が機械音で難聴になるように、衣服を着こんでいる者は時としてそれだけで聞く力を殺がれる。

<P.25-P.26>





[*注3]
 それぞれに必要な「自立時間」は、パーソナル(ス)ペースのひとつ、と捉えることもできそうです。




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